2009年4月29日 (水)

べらぼうなおもしろさ!

 いま夢中になって読んでいる本が佐藤優著『私のマルクス』(文藝春秋)で、これがまた、べらぼうにおもしろい。

 旧友の寺崎茂くんが薦めてくれた本なのだが、彼の薦めがなかったら永久に読まないで過ごしてしまったかも知れず、そう思うとぞっとする。こんなにすぐれたノンフィクション(思想的自叙伝)を読まないで死ぬわけにはいかないからだ。

 1979年2月、著者は同志社大学神学部の入学試験を受ける。「試験日には雪が降っていた。雪化粧をした明治時代の赤煉瓦建築が並ぶ今出川キャンパスがとても魅力的に見えた」とある。

 この日ここで佐藤優氏は、のちに学部と大学院で指導教授となる「緒方純雄先生」に出会う。自己紹介をすると白髪の教授は「おうちはキリスト教と関係がありますか」と尋ねる。「母親がプロテスタントですが、私自身は洗礼を受けていません。むしろ無神論に関心をもっています」と答えながら著者は「フォイエルバッハやマルクスの流れ」に関心があることを表明、緒方教授から「フォイエルバッハは神学部の図書室にだいぶ資料も整っています。大学院にはフォイエルバッハで修士論文を書いた人も何人かいますよ」といわれる。同志社大学神学部が「無神論研究で神学修士の学位を出す」ことを知ったわけだ。

 神学部3階にはチャペルがあるが十字架はなく、説教壇の上には「茨の冠」がつり下げられているという。茨の冠はイエスがローマ兵士によって侮辱されたときの象徴。同志社大学は十字架ではなく茨の冠にイエス・キリストのシンボルを求めたわけで、このくだり、ぼくにはとても印象深い場面と映った。

 続けて著者は、こう書く。「私はプライドに価値を認めない。プライドこそが人の目を曇らせ、情勢分析の判断を誤る原因になるという発想をインテリジェンス(情報)業務についてからもつようになった根元には神学館の茨の冠があるのだ」。

 ぼくも同じような考えかたをもっている。プライドと称される概念はいわば自己流ねじ巻き器としか見えず、無駄で邪魔で人間にとって余計なものだと思っている。

  ヨセフ・ルクル・フロマートカという神学者の存在をぼくはこの本で初めて知った。
 著者が引いている部分だけからもフロマートカが書いた文章の貴重な内容が伝わってくる。共産主義者は本当に無神論者となるのかを問う発想は洞察力に富むだけではなく考察と論理の新鮮な刺激にどきりとさせられる。マルクスとキリスト教とのかかわりをここまで考え抜いたひとがいたのかと舌を巻く。
 フロマートカについて、佐藤優氏は野本真也教授から「ロマドカを読むといい」と薦められたというおもしろいエピソードを書いている(同p.256)。

 「東ヨーロッパの神学に関心があるのですか」
 「そうです。無神論を国是とする国での教会と国家の関係について勉強したいんです」
 「重要なテーマですね。それならば、佐藤君はロマドカを読んだことがありますか」
 「ロマドカって誰ですか」
 「チェコの神学者です。この分野ではとても重要な人です」
 「読んでみます」
 早速、神学部図書室で、Romadkaのカードを探してみた。でてこない。次にLomadkaであたってみた。それでもでてこない。

 きりがないので引用はやめるが、要するに日本語索引の目録にある「ロマドカ」の脇には、ローマ字表記で「Josef Lukl Hromadka(1889-1969)」とあったという。

 野本教授が薦めたのは著者が研究しているヨセフ・ルクル・フロマートカそのひとのことだったわけだが、ぼくはここで、佐藤氏が「チェコ語のHが黙音のなることはない」と書き、少し先では「チェコ語では明瞭にフロマートカと聞こえるので、ロマドカというのは英語訛りなのだろう。ちなみにロシア語でフロマートカはグロマートかと発音する」と書く姿勢が好きだ。

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2007年6月22日 (金)

吉本隆明著 『超資本主義』

 このところ折に触れて吉本隆明の情況論を読み返しているのだが、社会動向の見方がじつに鋭いことに驚かされる。いろいろ読んでいる中には刊行後すでに10年以上経つ本もあり、たとえば徳間書店から出た『超資本主義』など、いったいこの本はいつ出たのであったかと奥付を見ると、第1刷の発行日が1995年10月31日となっている。なんと12年も前なのだ。

 この本を刊行されて間もなく読んだときには、もちろん12年後に再読するなどと考えたりはしなかった。
 すると、もしもいま、たまたまの成り行きから再読することがなかったら、たとえば以下のような発言が12年前に成されていたと感服することもなかったことになる。
 こういう発言だ。
 「大胆なことをいえば、ニューヨークや、東京やパリなどの市街地とおなじように、農業が自然産業(第一次産業)としては、コンマ以下の割合になってしまうことが、長い射程ではありうることだと、徹底してかんがえたほうがいいのだ。そのときは贈与経済を根幹にして、他地域や国家が国際的な農業担当地の役割をするという事態になるとおもう」。

 いまでこそ、すうっと理解できる見方であるにしても少なくとも12年前のわたしは、この文章をいま分かるようには分からなかったのだと思う。あるいは分かったつもりで何も分かっておらず、だから読んだきり忘れていたということだったのかも知れない。
 いずれにしても「贈与経済」という概念は1995年の後半には流布されていたわけだ。
 わたしがこのところ吉本隆明の情況論を読み直している理由のひとつに、この「贈与経済」のことがあった。いまあらためて12年前から提出されていた概念であったと知らされてみると、じぶんのバカさ加減にあきれ、何だかきょとんとしてしまうのである。

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2007年6月13日 (水)

研ぎすまされた恐怖感

 タイトルは『真夜中に捨てられる靴』という。
 著者は『ランボー』の原作者として知られるデイヴィッド・マレル。ストーリーテラーの達人による8篇の短篇を収めた新刊である(山本光伸訳)。

 8篇のどれもがみごとにミステリアスな仕立て。しかもかなり怖い。
 中でも、毎夜、同じ場所に靴が捨てられる話を描く表題作は不気味。約436ページの本書にあってこれだけで約4分の1を占める中編作品。「陰謀もの」の傑作だ。

 主舞台は、サンタフェ市警に勤めるロメロ巡査の通勤路。ニューメキシコ州サンタフェの丘の上、バプティスト教会前のオールドペコス通りである。
 5月のある夜、ロメロは「道路に落ちている靴」に目を止める。ナイキのジョギングシューズだ。「はて?」とロメロ巡査はいぶかしげな顔を浮かべた。昨日も道路の真ん中にサンダルがあったと思い出し、さらに「一昨夜は?」と自らの記憶を確かめる。そう、一昨夜も何か靴が落ちていた。毎夜、何者かがオールドペコス通りの中央に靴を落とし続けているのだが、背景は何か?

 この疑問が重大なきっかけとなり話が加速する。
 ロメロ以外は「靴がどうした?」と誰も気にもかけないのだが、誰が何をいおうとロメロは疑問と違和感にこだわり続け、そのまま時が年が明けた。やがて5月のある夜、落ちていた靴に「足があった」という新事態が生じたのだ。

 人の死に関わりがあるとなっては警察も動かぬわけにはいかない。
 後段は大々的な捜査が展開することになり、終盤でロメロは、それこそ「ランボーもどきの活躍」を見せる。

 アメリカだけで約85万人死亡という1918年のスペイン風邪に材をとった『目覚める前に死んだら』、エルヴィス・プレスリーの偉大性を訴える強烈な短篇『エルヴィス45』、あるいはハリウッドの有名な脚本家が殺人者に変貌して行く過程を詳述する物語『ゴーストライター』などなど、全体に研ぎすまされた怖さがみなぎる短篇集。
 ホラー好きならずとも読み応え充分だ。(ランダムハウス講談社 本体850円)

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2006年12月24日 (日)

1907年のニューオーリンズ

 かつて愛用していたHPが運営会社の都合だとかいう理由で消えてしまった。だからといって別になんてこともないと思っていたが、ちょいとたしかめたいことが生じた際など、メモを見る感覚でHPを当たることができなくなった。無くなってみて改めて思うが、あの確認法はあれでなかなか便利だったのだ。それが、いま、もうできない。

 で、保存してあったものに限られるが気が向くままにすこしずつ再録しておくことにした。

            ◆            ◆            ◆

 デイヴィド・フルマー著『快楽通りの悪魔』(CHASING THE DAVIL'S TAIL 新潮文庫)を読んだ。1907年のニューオーリンズを舞台にした犯罪小説の傑作だ。殊更にマークしていたわけでもなく、まさにたまたま読み始めた文庫本なのだが、いやぁ読んでよかった。独特に面白かった。
 訳は田村義進さん。落ち着いた文章が、ひたすら真面目に、丁寧に、暑くしめった歓楽街を描出してゆく。

 ニューオーリンズのミシシッピ川沿いに有名なフレンチクォーターがあり、その北側の奥がストーリーヴィルと呼ばれる歓楽街。娼婦の館が軒を連ね、酒とアヘンがはびこり、猥雑で暴力的で、銃撃事件は毎晩のように起こるという典型的な“悪所”である。
 物語は、4月のある夜、評判の娼館で19歳の娼婦が殺され、主人公の私立探偵が調査に乗り出すところから始まる。
 死んだ娘の裸の胸には黒い薔薇がおいてあり何やらいわくありげ。その後、4人ぐらいの娼婦が殺されるけれど、その現場にも枝つきの黒い薔薇がある。

 ヴァレンティン・サンシールという名のこの私立探偵は覚えておくといい。なぜなら、この作品は著者のデビュー作ながら、いきなり2002年度PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ賞)最優秀処女長編賞を受賞。ジェフリー・ディーヴァーが絶賛したとか、物語の暗黒度合いがジェイムズ・エルロイをしのぐとか讃辞が降り注いだ。で、一読すると、それらの評価がまちがっていないことがわかるのである。
 著者はストーリーヴィルものの連作を目論んでいるらしく、そうなるとヴァレンティン・サンシールの活躍がたのしみになる。少なくともあと2作は刊行されると後書きにある。

 いかがわしさは人を惹きつける。
 だからストーリーヴィルには各層の人々が集まり、歓楽の盛り上げ役として音楽があり、こうしてストーリーヴィルにジャズが生まれた。
 このミステリーは、ジャズ発祥期の歴史そのものが背景となるセミドキュメンタリー小説でもあるのだ。
 とにかく、ヴァレンティンの親友にバディという男が登場。これが何と、ジャズの創始者とされるあの伝説のコルネット奏者チャールズ・バディ・ボールデンのことなのである。文中にある、彼の火を吹き上げるような演奏シーンがすごい。要注目。また、ジャズの語源とされるフランス語の動詞「ジャゼ」について描写する賑わいのシーンも興味深い。
 あるページには、一瞬だけ、少年時のルイ・アームストロングが出てくる。
 そんなこんな、ジャズファンには見逃せないミステリーだ。 washiroh 04/07/16 09:53

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2006年11月 4日 (土)

P.コーンウェルのスピード感

神の手(上・下)
          パトリシア・コーンウェル 著
                 相原真理子 訳

 ケイ・スカーペッタを主人公とする検屍官シリーズも本書で14作目。ケイはいま、フロリダにある全米法医学アカデミーのスタッフとして捜査全般に関わる仕事を行っている。恋人のベントン・ウェズリーは、ボストン近郊の精神科病院で「殺したいという衝動」にとりつかれた強迫的殺人犯の“脳の機能”を研究中。従って本書には、フロリダ州ハリウッドとボストンを主な舞台に数件の残忍無惨な殺人事件をめぐる物語が描かれていく。
 ある日ケイの捜査仲間であるマリーノに正体不明の男から電話がかかってきた。脅し文句を並べた男は自らを「ホッグ(HOG)」と名乗る。ケイも指摘する通り妙な名前だ。「神の手(ハンド・オブ・ゴッド)の頭文字をとったのかもしれねえ」とマリーノ。表題にも選ばれたこの名が物語全編に踊り、血なまぐさく不気味な効果を醸し出す。
 章を追って次々に惨殺死体が発見される。喉をかき切られた女や口に散弾銃を突っ込まれて頭を吹っ飛ばされた男、ある若い女は裸の体に入れ墨のような「赤い手形」がつけられていた。強姦され、拷問され、脳がグジャグジャとなった数人分の死体は犯人が異様に冷酷な「捕食者」であることを示し、ベントンの研究が意味を持ってくる仕立て。そこには米国の現実を突きつける趣があり読み手は慄然とさせられる。
 今までのシリーズ作品にはなかったスピード感が特長。サスペンスが盛り上がり、驚嘆すべきエンディングに繋がっていく。

  (講談社文庫 各714円) 2006年02月 日刊現代掲載

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映画『L.A.コンフィデンシャル』を観たい

 もうひとつのぼくのブログ<Wienerschnitzel>にも同じ文章を書いた。以下、転載ということになるが、今後こういうことが増えそうだな。ここからあっちへ、あっちからここへ。ま、それはそれで一向に構わないわけで、ただ“場が2つある”ことになかなか慣れないのだ。

 …………………… ……………………… …………………… ……………………

 映画の話をしよう。
 もっとも今日のところは、映画の話といっても“見損なった映画”について話したい。

 友だちと酒を酌み交わしながら映画の話をしていると時間が飛び去って行く。
 そういう場で相手がある必見の映画を観ていない場合、ぼくはよく“致命傷”の語を使ったものだ。うへぇ、あれを観ていないのは致命傷だぜ、といったふうに。
 相手は“まったくその通り”とうなずき、同時にやや顔をしかめたり苦笑いをしたり。立場が逆の場合はぼくも顔をしかめ、そうだな、あれを観ていないのでは消え去るしかないなと苦笑いを返したものだった。

 で、要するに、その“致命傷”の話をしたいのである。
 恥ずかしいことにぼくには決定的ともいえる致命傷体験がいくつもある。どこかでそうした映画が話題になったりするとわぁ参った、何もいえない、無念残念、と身をすくめるのだ。

 典型例が、……いやホントに恥ずかしい告白で人にいうのは初めてなのだが、たとえばぼくは黒澤明監督の名作『天国と地獄』(1963)を観ていない。
 TBSラジオに『久米宏 ラジオなんですけど』という番組があり、その中でかつて自由が丘にあった懐かしの映画館、自由ヶ丘劇場の話をしていた。ぼくはその名を聞いた瞬間に夢想状態におちいり景色がくるりと一回転、白壁もモダンな自由ヶ丘劇場の前に立っていた。年齢は、たぶん15歳。見上げる絵看板にはエリザベス・テイラーとヴィットリオ・ガスマンが色彩鮮やかに描かれている。
 そう、もちろん『ラプソディー』(1954)を観に行ったのである。チャールズ・ヴィダー監督の音楽映画。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲やラフマニノフのよく知られたピアノ曲が使われているが一番の印象はサラサーテのツィゴイネルワイゼンだった。ぼくはいまでもツィゴイネルワイゼンを聞くと直ちにこの映画を思い出す。
 久米宏の話は自由ヶ丘劇場からリスナーの声を経て『まあだだよ』(1993)へ、そこから黒澤作品絶頂期論へと一気に飛び、黒澤明監督第一の傑作は『七人の侍』(1954)であると多くの人がいうが、久米氏にとっては『天国と地獄』こそ筆頭の大傑作なのであると、番組パートナーの小島慶子アナを相手に愉しそうに語っていた。
 そこで、ぼくは“うひゃまたか、観てなくてつらいな”となったのである。
 しょうがない、近々DVDを借りてこよう。

 比較的最近の作品でいうと、何とぼくは映画『L.A.コンフィデンシャル』(1997)を観ていないのだ。これまたまことに恥じ入るばかり。観たくてしょうがなかったのにどうしたわけか見逃してしまった。
 が、監督のカーティス・ハンソンには大いに興味があり『8 Mile』(2002)は食い入るように観た。

 観ていない映画について何をもって“致命傷”とするかについては、これはセンスの問題としかいいようがない。自分も相手も“致命傷”だと思えるかどうかを論じあうのはいいが、硬く深く突っ込むと話がつまらなくなる。ま、センスととらえることが重要だろう。
 たとえば、映画『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)を観ていなくても“致命傷”にはならない。ぼくは観ていないが、そう明言できる。
 西部劇で知られたジョン・フォード監督の旧作でいえば『駅馬車』(1939)を観ていなくても“致命傷”ではないが『怒りの葡萄』(1940)を観ていないとなると、そりゃ“致命傷”だぜということになる。
 センスの問題というのはそういう意味なのだ。

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2006年11月 2日 (木)

不穏な曇り空

 5時33分起床。新聞見出しにざっと目を走らせ、トーストを2枚セットし、寒さよけに一枚余計に着込んだりするうちに6時となる。
 黒胡麻きな粉に蜂蜜を入れたミルクを飲み始める。こくがあり、軽い歯触りもあり、朝向きに甘く、満足至極。
 再び新聞に目を落とすと、例の“未履修問題”に関し、伊吹文科相が50~70コマを了承うんぬんとある。いまさら文科相が何をいうのだバカバカしい。生徒側の気持を思うとまことに気に入らない。今朝はまず、この件から書き始めるか。
 と、外報面に悪いニュースが載っている。イスラエル軍の猛爆によりパレスチナ緊迫。イスラエルの暴力集団はガザの特定地区に戦車を繰り出して住民排除を開始したとのこと。ここにも空襲をかけようという腹だな、けだものめ。4段抜きほどの記事に暗鬱な気分にさせられた。
 世の中は明日から3連休だそうだ。となると、デイリーコラムを仕事する当方は最小限5本の「社会ウォッチ」を書かなければならない。
 イタリアンローストの珈琲をやはり濃いめに淹れ、バターたっぷりのトーストをかじる。塩を利かせたキュウリが豚肉ソティによく合い、味と風味がさらなるトーストかじりを促す。
 窓の外は不穏に暗い曇り空だ。

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2006年10月29日 (日)

だいじな日曜日

 前回(といっても随分まえなのだといま知ったが)書いた“目しょぼ”については7月に病院へ行き、パソコン時間を少なくするようにといわれるだけで済んだ。点眼液を2種類出され、これがうれしい。何というか、目がつらいときに心強いのである。病院に行ったおかげでともかく白内障など当面の心配事は何もないと診断され、よかったよかった。

 それから3カ月経ち、先日また東海大八王子病院の眼科へ。この間に一度、激しい“目しょぼ”が起き、それが2日間続いたのでその旨を医師に報告すると次回また起きたら予約なしででも病院へ来て欲しい、診たいとおっしゃる。眼科での今日の主なできごとは器械による視野検査で、明度変化をともなう小さな点が点滅する様子を確認する例のやつ。結果は「左眼に視野狭窄あり」とのことで、原因はたぶん20年来の緑内障だろうと思われる由。2カ月後に今度は器械ではなく人間による視野検査をするそうだ。

 目の件だけでなく、腹具合がおかしい。すさまじい胸焼けで、昨夜は、からだを横たえると胃液が吹きこぼれてくるのが感じ取れるため寝ていられなかったほどなのだ。何かを喰うと胸焼けが始まる。いつかの逆流性食道炎がぶり返したかな。腹具合がよくないと何ごとにも集中できず、困った。日曜日はゆったりした気分で原稿の準備に専念するのだが、うまく進まないのである。これが進まないと原稿自体に影響し時間ばかりかかることになってしまう。

 さらに困るのが本を読めないことだ。胸焼けが気になり、無意識におくびをしたりし、その音に自分で慌てるありさまで何とも落ち着かない。あせっても仕方がないとぼんやりしていると秋の日は直ぐに暮れる。暮れたあとの時間経過がまた猛スピードで、あっという間に夜の9時だ。仕事も進まず本も読まず、ほとんど何もしないままにだいじな日曜日が終わってしまう。

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2006年8月26日 (土)

夢と“目ショボ発作”

 夢の中で眠くてならず、夢の中なのに眠ってしまい、夢の中でさらに夢をみていた。

 場所はなぜか信濃町。新宿まで歩こうと足を踏み出したのはいいが、新宿通りがどこだか分からない。それどころか自分がいるところが信濃町なのかどうかさえ分からなくなり、要するに道に迷ってしまうのだ。いっこうに見知った場所が現れず、やがて人家もとぎれがち。あっという間に風景が豹変、気がつけば山道を歩いているのであった。さすがにこれは道が違うと後戻りし、ふと左を見ると駅のプラットフォームらしき風情。やれありがたやと人混みに紛れ込んだ。何かの表示からJRの新線なのだと判明。道に迷ったおかげで初めての電車に乗れるのだ、うれしい、と歓んだ瞬間に目が覚めた。いつもの布団、いつものベッド、いつもの室内光景。時計を確かめると3時間ほど眠っていたことになる。

 で、朝の7時からまたパソコンを起動させ、まずは『社会ウォッチ』を書いてしまおうと海外のニュースサイトを開く。BBCCNNニューヨーク・タイムズロサンジェルス・タイムズなどなどトップ見出しだけざ~っと見て行く。とはいえ実際にアタマの中で気になっているのは海外報道とはまったく関係のない出来事で、横浜市の産婦人科病院で起きた“無資格助産事件”なのだ。助産師(助産婦と書きたいが我慢)が不足しているときに助産師以外の者がお産を手伝ってはいけないというのは不合理じゃないかと思えてならないのである。それを『社会ウォッチ』に書きたいのだが、まだ分からないことが多すぎる。週明けまで待ってみようかなと思いながら国内紙のサイトを見始めた。

 起床して約2時間。埼玉県吉川市で起きた中学生による放火事件を採り上げようかと探り出したが、突然目を開けていられなくなった。急いで目薬をさし、横になって目を閉じる。この数ヶ月、こうした“目ショボ発作”に悩まされている。医師はパソコンを見つめる時間を少なくするようにというが、そうもいかない。手術というほどの段階ではないといわれたことだけにすがって仕事を続けているのだが、だから“目ショボ発作”が始まると用心深く目を休める。かくて、今日もまた、仕事がはかどらないのである。

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2006年8月21日 (月)

泣きべそ

 いま日付が変わってしまったが、20日日曜日はパソコン前に座ったきりで1日過ごし、仕事三昧。といってもさほどはかどったとは思えず、待ってもらっている締め切りの、○○と◎◎がまだ出来上がらない。弁解の一つが長く治らない筋挫滅で、今日はキィボードを打つたびに右手親指近辺に激痛が走る。怖くなるのでいったんやめ、湿布薬を貼り直して再び書く。ビビン、ビビン、ビビンと激痛が少しずつ増してくる。限界でまた休む、という繰り返し。困ったよお。

 今日も暑い日であった。八王子の暑さがぼくには快い。とはいえ、座って仕事をする身であってもうっすらと汗にまみれ、扇風機を1時間ばかり回した。が、それで充分なのだ。冷房装置なんぞで冷え込ませるより風をうけてほっとするていどが、いい。そういう暑さのなか、カミさんは伯父の納骨式に出るため上野千駄木まで出かけていった。団子坂上の光源寺で納骨式が行われる。達雄さんというその伯父はがん転移にこらえきれなくなったのだ。蓮太郎と陽次郎がそれぞれ生まれたばかりの頃からじつに可愛がってくれた記憶が次々に思い出される。納骨式にぼくも行きたかったが、いやぁ時間がつくれない。カミさんだけが行ければ大丈夫ということで、欠席させてもらうことにした。八王子とは異なり上野の暑さは凄かったようだ。その後、大崎の書展に回り夕刻帰宅。その間ぼくは手の痛みや目のしょぼしょぼに耐えながら仕事をしていたことになる。が、やっと「社会ウォッチ」の2本を書き上げただけで、目覚めた折に考えた予定の半分も行かない。

 仕事の不備に泣きべそをかきながら、寝る。 washiroh

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2006年8月18日 (金)

暑い朝の苛立ち

 8月も半ばを過ぎてから本格的な猛暑となった。今朝の暑さはかなりのもので仕事を始めるときから扇風機を回している。スウィッチを入れながら、八王子にきてからこういうことは滅多にないなと思った。高原にいるような気温なので扇風機をつけるにしても日に何度か、30分ほど回せば事足りてしまうのだ。もはやクーラーなんぞまったく不要。乗った電車が「弱」ではない冷房車だと身体の調子がいささか悪くなった気がするのである。仕事を始める際の定番に冷やした緑茶があるが、これは湯冷ましの水で煎れなければいけない。さっきグラスに一杯入れたらビンが空になったので湯冷ましの入ったヤカンから作ろうとしたら、お湯がまだやや温かかったのでやめた。温かい湯だと茶からカフェインが出てしまい、目によくないのだ。だから水の温度になるまで待ってから煎れる。そうするとカフェインが抑えられるのだと教わった。かたわら、これも定番だが煎れたばかりのコーヒーもおいておく。カフェインを避けるべきなのにコーヒーを飲んではしょうがないではないかとも思うが、これははずせない。医者も日に3杯まではいいだろうといっていた。コーヒーのせいでカフェインの摂取許容量がなくなり、そのために熱い緑茶が飲めないのである。朝食に、今日も8枚切りの食パンをトーストで食べたが、ハムトーストとコーヒーがじつによく合うのである。例によって半端な残りには蜂蜜を塗り、結局3枚食べてしまった。

 仕事にとりかかる前から飲み物をどうするなどということに神経を使ってしまい、くたびれるのも当たり前だ。今日はまず、いつものように『社会ウォッチ』を書いてしまわなければ何もできない。毎週のことながら金曜日は週末分の原稿を3本送る必要があり、落ち着かない。1本目は加藤紘一議員が被った実家焼き討ち事件を題材にしようと思っている。自らの考えをメディアを通して公にするのは政治家ならば当たり前のことなのに、日本は民主主義国として成熟していないからか、加藤議員の考え方を知って気に入らなかった者が山形県鶴岡市大東町にある議員の実家に火をつけたようなのだ。世の中にはいろんな人がいるから面白いのである。いろんな人がいるから社会が前にすすむのである。自らとは異なる考えをもつ人がいるから話し合いが必要となり、議論が成り立つ。話し合いも議論もなしに、ただ気に入らないから暴力的に振る舞うのは卑怯者のやることだ。イスラエルのオルメルト首相なんぞはその最たるもので、強力な爆弾を大量に使って、ひたすら一方的に、レバノンの子どもたちを何百人も殺した。卑劣な行為として歴史に残るだろうが、今度の加藤議員宅全焼事件にしたって同じことだ。朝のラジオ番組で、小澤遼子さんが加藤議員の盟友といわれている小泉首相は火事を気遣う何事かを行ったのかね(?)といった内容の話をしていたが、この件、じっさいはどうなのだろうか。もっともなぁ、小泉首相って人はジョージ・ブッシュ大統領と手に手をとるようにして他国破壊を推し進めてきたからなぁ。いきなり得意の居直り戦法に出て、民主主義がどうした、なにごとも心の問題だろとでもいい出しかねない。何とも奇妙な国になってしまったものだよ、日本は。 washiroh

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2006年8月17日 (木)

友からの連絡

 午後、友からの連絡が2本、続いた。一つは浦安在住の寺崎くんからのメイルで、9月初めから住居リフォームのため仮住居に移るとのこと。築地とは、こりゃまた頻繁に会うことになりそうだな。もっとも当方が八王子とあってはそう簡単ではないか。ともあれ引っ越しの面倒ごととは異なり別荘住まいみたいなものか。気分が変わっていいだろう。

 メイルにはまた、愕然とする知らせが書かれてあった。山村さんが15日に亡くなったというのである。一昨日、ぼくは1日家で仕事をしていた。何日か前、思うところあって「8月15日」を主題に社会ウォッチの原稿を書いたのだが、そのせいか、15日は“戦禍”のことばかり考えていたような気がする。BBCサイトでイスラエルによるレバノン侵攻の悲惨な写真を見たり、東京大空襲の史料を探したりしていた。東京空襲の史料は、探し方が下手だからだろうが見つからなかったけれど、要するに青山界隈の被害状況を知りたくなったわけで、そういう限定的な史料があるかどうかも分からないのであった。15日は仕上げるべき仕事がたくさんあり、昼過ぎからはパソコン前に座りきりだったが、やるべき半分も出来上がらなかった。午前中は病院に予約をしてあり仕事の重みを見込んで早めに行った。東海大八王子病院はなにしろ目の前。往復の時間が取られず、呼吸器内科の診察も思っていたより早く終わり、そういうときに病院の近さがつくづくありがたく感じる。要するに仕事が望んだ半分にもいたらなかった主たる理由はぼく自身にあるのだ。とりかかってからの時間のつかい方がへたくそなのである。

 その日に山村さんが亡くなっていた。思えば昨年暮れ、12月1日に銀座グラナータで歓談した折りにはずいぶん元気だったのに。たしか“職場復帰も考えていて……”ともいっていた。不意の訃報にどっきり絶句。ただただご冥福を祈るばかりです。

 もう一つの連絡は電話だった。藤本くんが“声を聞きたくなって……”という電話をかけてきてくれたのだ。本郷の東大構内にいるらしい。東大で何をしているのかと尋ねると“近くだからね、散歩”という。いいなぁ、三四郎池が散歩コースか。でも元気でいるかというだけの電話というのもありがたい。藤やんにはそういう心優しい行為をいろいろと教わる気がするな、いつも。  washiroh

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2006年8月16日 (水)

8枚切り食パン

 何と何と早くも8月が半ばを過ぎた。あわてるね。朝食のトーストもすばやく喰えるように食パンを6枚切りから8枚切りに替えたよ(笑)。

 昨日、8月15日。日本の終戦の日。韓国北朝鮮では植民地状態からの開放の日。

 今年は国際情勢がキナ臭い中での8月15日となった。アメリカ政府のイラク侵攻占領政策はいよいよ失敗の色が濃く、イスラエルによるレバノン攻撃が子どもを殺しまくるという愚かな結果しか生まないことがはっきりし、国連安保理はアメリカ政府の邪魔だてのためにぐずぐずと動かなかったがようやく停戦を決議。もっともアメリカ政府はイスラエル寄りの案でないと拒否するとわめいていたらしく結果は妙にイスラエル有利な条項が並ぶ。

 とまれヒズボラも保留付きでこれを呑んだ。レバノンの人々はひとまず破壊され尽くした故郷に戻り始めたと伝えられる。そういう中でぼくは仕事を続けているのだが、なにしろ両手の筋挫滅症状がよくならず、おとといあたりからは手首全体が猛烈に痛い。目の前に横たわるキィボードが憎らしくなってくるほどなのだ。

 昨日配信の『社会ウォッチ』に以下の文章を書いた。掲載誌を購読していない人にも読んで欲しいのでそのまま引く。

================================================== 53万1000部発行 
■ オリーブ!ニュース               2006/08/16  02265号 ■
=================================================================

=================================================================

|■01.今日の社会ウォッチ <巖谷鷲郎>
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(2189.) 8月15日に思うこと

 いつごろだったか、終戦といわず敗戦というべきだという議論があった。
 ぼくにとってはどちらでもよく、毎年8月15日がくると、ただひたすら“多くの
人がよろこんだ日”と受け止める。
 戦争の終わりがどんなにうれしくありがたいものかについて、ぼくは想像しかでき
ない。しかし戦争なんぞ実感する必要はまったくない。したがって戦争が終わるよろ
こびについても想像するだけで充分ではないか。

 「平和憲法の下には戦死者が埋まっている」。
 そういったのは詩人の宗左近さんであったと、毎日新聞の小国綾子記者が書いてい
る(7月27日付毎日新聞夕刊、URL下記)。
 『詩人逝く、この喪失感』と題されたこの文章は素直でしなやかで、書き手のきち
んとした姿勢が窺われるものだった。先日、8月15日を前にあらためて読み、あら
ためて感銘を受けた。
 書き出しがすごい。「詩人が死んでいく。2月には茨木のり子さん(79)、6月
には宗左近さん(87)。戦争体験を自分の言葉で書きつづった詩人たちの相次ぐ死
に、こみ上げてくるこの喪失感は何なのか」。
 ぼくにとって何度読んでも胸にずんとくる書き出しなのだ。小国記者は次いで、東
海道線の根府川(ねぶかわ)駅(神奈川県小田原市)に降り立つ。「15歳で開戦、
19歳で敗戦を迎えた茨木さん」の詩「根府川の海」に描かれた場で“こみ上げてく
る喪失感”と向き合おうと思ったからだ。
 “まず、行く。見る。そして考える”という生き方をしようとぼくも願ってきた。
 そしていま、小国記者の文章を読みながら“でもなぁ、相変わらず怠けてる”と思
うのである。根府川駅のホームから太平洋を見つめる記者はこう書いている。
 「戦争と隣り合わせの青春。この海にどんな思いを閉じこめたのか」。

 ところで、たしかに“こみ上げてくるもの”が妙に気になる夏である。
 もっとも気になるのが“気に入らない相手は排斥する”という考え方が蔓延してい
ること。夜遅い電車に乗ると、混み合った車内に不穏な気配が満ちている場合が少な
くなく、その延長に、気に入らない相手を殴るだの蹴るだの、あげくの果てには刺し
殺すだのといった“排斥の思想”を感じることがある。
 これこそは“民主主義と相反する考え方”で、米国政府のアフガニスタン攻撃とイ
ラク侵略が「テロとの戦争」という呼び方で世界中に植え付けた考え方だ。
 現状を見れば分かる通り“気に入らない相手は排斥する”という暴力思考はあきれ
るほど愚かしいのだが同時にとてつもなく恐ろしいやり口でもある。ジョージ・ブッ
シュ大統領にベッタリの小泉純一郎首相も民主主義を口にするが、自ら抱えた大きな
矛盾に気づいているのだろうか?

 8月15日、ぼくは、先日亡くなった鶴見和子さんの“みなさん、時代の動きに対
して暢気(のんき)すぎますよ”ということばが思い出されてならないのである。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060727dde012040064000c.html

 <巖谷鷲郎>

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 ここに『社会ウォッチ』を引用するのは初めてだが殊に理由はなく、ただ考えなかっただけ。では急に今日、引いておこうと思い立ったのは、じつはこのブログをサボりすぎていることを反省したからだ。あることに背中を押され、毎日書こうと思い立ってからすでに3日ほど経っている。気がつけば2006年8月も16日となっており、まずは15日のことから再開しようと思い立ったわけである。

 別に無理をする気はないけれど、せっかくのブログ、できる限りしっかりやってゆきますから、どうぞよろしく。 <鷲>

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2006年8月13日 (日)

門前仲町で飲んだ夜

 一昨日の金曜日、久し振りに門前仲町へ行った。何年ぶりだろうと思うくらい久し振りのことだ。いつもは荻窪で催されるある研究会の面々が納涼飲み会を門仲のおでん屋でやろうというしゃれた企画が持ち上がり、よろこんで参加することにしたである。

 地下鉄大江戸線の駅から通りへ出たとき、さてどの道を行こうかと迷った。もっと余裕をもつつもりがギリギリまで仕事をしていたため、着いてみたら15分ほどしかない。久し振りだから門仲の交差点を通りたいとも思い、それには地下鉄出口を背にして左へ行けばよいのだが、何気なく小路の奥を見ると木立の緑が見えた。青空に樹木のありようがなかなかいい。この景色を見ながら歩こうと決め、深川公園を抜けることにした。目的の店は富岡1丁目にあり、八幡宮の向かいあたり。交差点を通ると直角に曲がりながら行くことになるところを斜めに突っ切るかたちとなるから少しばかりゆっくり歩ける。

 ぼんやり歩いて行った。夕刻とはいえ夏の陽差しがまぶしい。大きなビルの裏側が小路に面している。ひと気がなく、ま、はっきりいってつまらない光景だ。しばらく来ないうちに、門仲も当然ながらビル街となってしまっていた。木造ふうが鉄筋ビル街ふうになり、街の匂いが変わった。それだけご無沙汰していたわけだ。魚三で早い時間から飲み始めた日があったがあれ以来か。やがて深川不動尊の参道にぶつかる。不動尊へ行く時間はない。参道からあの屋根を眺め、昨日見た景色に出会った感覚から胸の中でおお(!)と声を上げた。

 志水さんと出会い中山さんとも出会い、三人で千松ののれんをくぐった。しんと落ち着いた空間があり、親父さんの鋭い目つきと娘さんの明るい声が迎えてくれた。やがて塩田さんが現れ大谷さんや松下さんも現れ、全部で10人、みなさん元気だ。ビールで乾杯し、ぼくは阿久根の焼酎“華”に替えて飲み始めた。目の前に座った中山さんとは京都の話をした。中山さんの、古都ならぬ糊塗千年という皮肉ないい回しが面白かった。志水さんは前の日に怪我をしたそうで、左手親指が包帯でふくらんでいる。軽いダンベルをもって散歩中に濡れた木の葉にすべって転んだという。転ぶ瞬間ダンベルを放せばいいのに握ったままだったのでヒビ入りの大怪我となってしまったようだ。大谷さんからは仕事の話を聞いた。ポリー・トインビー著『ハードワーク』を媒介に、意図したものではなかったけれど、会計事務所の現状を知られてびっくり。会計士の資格をもっていてもそれはステイタスにはならないらしく、日本の時間給労働がいかに悪い条件下におかれているかというルポを聞かせてもらうこととなった。まったく知らない世界なので面白かったが彼女自身の仕事の環境は気になる。“資格取得ビジネスに乗せられてしまったみたい”ということばが印象深い。福井さんとも久し振り。初対面の方たちもいて、要するにわぁわぁ楽しんだ。

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2006年5月16日 (火)

「小学校での英語教育の義務化」について

 中央教育審議会が「小学校での英語教育の義務化」を計画しているという。

 国民はまたも文科相・文科省による愚かな行政に振り回されるわけで、何ともバカバカしいことである。しかも驚くべきは、この中教審発表に対し少なからぬ人々が“賛意”を示していると伝えられるという事実。それらの人々はいったい週に何時間の授業時間が設けられれば“英語教育”が可能とお考えなのであろうか。そして、その人々は中教審が小学校で一週間に何時間、英語の時間を設けようとしているかをご存知なのであろうか。ぼくは何時間が予定されているか知らない。知らないから、中教審の発表はバカバカしいとしか思えない。

 英語を、たとえば週に一回、1時間だけやったところで何にもならないよね。英語教育は習慣的に話したり書いたりしなければ身につかないのは常識。しかも小学生だもの、英語の単語なんぞは普段の生活の中で使われない限りとっとと忘れてしまうのだ。いや、片っ端から忘れるのは小学生とは限らないか。ま、いまはバカバカしい中教審発表に沿って書くことにするから小学生に限る話になるが、少なくとも1日3時間ほど、毎日やらなきゃ英語教育なんぞができるわけがないだろう。もしもそうするつもりなら、つまり、もしも毎週毎日最低3時間を英語に充てるならぼくも中教審に賛成してもいいと思えるわけだ。が、その場合、他の教科に充てる時間がなくなるね。

 で、そこはどうするのだ、中教審? 何も考えていないから答えようもないのだろうが、そんな中教審をみていると、いやしくも教育行政にたずさわろうという連中が顔を並べて、子どもを苦しめる算段に夢中になる図しか見えてこないぜ。

 愚かしい考えはさっさと捨て、子どもの教育としてタメになることを考えなさい。そうでないと、中教審なんて単なる税金泥棒グループになってしまうよ。 washiroh

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2006年3月27日 (月)

映画『海底2万哩』のこと

 映画監督リチャード・フライシャーの死去を3月27日の夕刊で知った。89歳。ロサンジェルスの病院で、とあるから病気か、あるいは老衰なのかも知れない。詳しいことは何も書いてなかった。
 リチャード・フライシャー作品といえば『ミクロの決死圏』(1966年)が有名。一気に評判を高めた。人気を集めたのは『ドリトル先生 不思議な旅』(67年)や『トラ・トラ・トラ!』(70年)だが、ぼくは『海底2万哩』(54年)が忘れられない。いや、ちょいとばかりするっと書きすぎた。その“忘れられなさ”はいささか度を超えたものなのだ。
 そうか、1954年の製作なのか。日本での封切りは翌55年だった。ぼくは中学1年生で、高輪の家の一角に初めて自分の机を持ったことをよく覚えている。買って貰ったわけではない。父親の机を貰ったのはもう少し後のことだったから、たぶんあの机は父の知り合いから払い下げられたものだったのだろう。で、机の上には、当時やっと出回り始めた蛍光灯スタンドが乗っていた。これは父親が使っていたものだ。ONとOFFの二つのスウィッチがあるだけの無骨な格好をした卓上スタンドであった。
 冬だった。ぼくはその蛍光灯の明かりの下で『海底2万哩(20,000 LEAGUES UNDER THE SEA)』の広告を見たのだ。いまはこの映画のタイトルを『海底2万マイル』としているが、封切り時には間違いなく『海底2万哩(マイル)』と漢字にふりがな付きで、カラー印刷の広告には「シネマスコープ」という文字があった。そうだ、あのころぼくは、もらい始めた小遣いで映画雑誌を買ったりしていたのだ。シネスコ第1作は『聖衣』であると知ってはいたが観る機会がなく、いったいシネマスコープとは何だろうと胸を高鳴らせ、明日は観に行くという夜にはほとんど眠れなくなったものだった。
 映画館に自分1人で入ったのは初めてだった。坂を下りて品川駅から電車に乗ることには慣れていた。有楽町で降り、なつかしい有楽座に向かう。美しい建物だった。内部にはいっそう目を見張る。ふかふかの座席、どっしりした緞帳、高い天井。13歳になって数ヶ月の中学生には、もうそれだけで刺激的なのだった。
 さらにさらに、スクリーンがすごい。横にでかい。そのころぼくは何しろ生意気な年ごろで、友だちをつかまえては「スタンダード・サイズのスクリーンは3対4の比率でさ、シネマスコープは横幅が広く縦の倍以上、1対2.3だか4だかなんだって!」などと話していたのである。実際には見たこともないのに。
 そこに映画が映る。潜水調査艦ノーチラス号が白波を立てて進んでいく。ネモ艦長を演じるのがジェームズ・メイソンで、いやぁ何とも、じつに人間味のある艦長ぶりだった。やがて怪物登場。バカでかいイカだな、あれは。くねくねとよく動く足が恐怖の的。ノーチラス号は逃げなければならず潜水を急ぐ。急いだために、うわっ、ネモ艦長の右手(だったな、たしか)親指が閉めかかったハッチに挟まれてしまう。すき間からじゃあじゃあ海水が入ってくる。いったん浮上しようとする乗員たちを押しとどめ、ジェームズ・メイソンは自分の指を切れと命ずるのである。親指を切っちゃうなんて! とぼくは全身で興奮していた。
 しかし、何よりも興奮させられたのは台詞の日本語訳を書いたスーパーインポーズなのだった。当時、スーパーインポーズは画面下に横書きで出てくるのだが、その一文字の大きさが人の頭ほどもあるではないか。
 帰宅後、父親と母親に、最初に話したのがこのスーパーインポーズの大きさだった。話しても話しても飽きたらず、とうとうぼくは、映画ノートを書き始めた。スタッフとキャストと、映画館と、日付と天候と、そして映画の感想を書きつける大切な映画ノート。そこにぼくは、いまでも覚えているが、この映画には女の人が出てこないと書いた。
 ところが、もう一度観ると(また有楽座へ出かけて行ったのだ)調査艦は小さな島に立ち寄り、そこの現地人に女性がいるのだった。
 映画に関するすべての始まりとはいえないにしても、映画『海底2万哩』は、たしかにぼくを映画の方角へぐいと押し出した作品なのであった。
 だからリチャード・フライシャーは、いわばぼくの人生を決めたにも等しい映画監督なのだ。今夕その死を知り、ぼくは大いなる感謝をこめて冥福を祈るのである。 washiroh

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2006年3月15日 (水)

初めて歩く西八王子の街

 西八王子駅に生まれて初めて降り立った。見上げると青空に吸い込まれるような快晴。陽差しが暑いほどの午前中だった。カミさんと2人、てくてく市役所まで歩く。駅前にちらりと商店が並んでいたが、あとはし〜んとした住宅街。邸宅がありマンションがあり、道路が縦横に走り、西八王子の街は、快晴の陽差しの中でさながら米国の小都市のようであった。       が、妙にわさわさとしていて歩く身には落ち着かない。もっともこれは西八王子に限ったことではなく、要するに日本の街に共通した短所だ。街の核心部に“目に快いもの”を据えようとしないのである。

 ふいにコンクリート製造所が現れる。頻繁に出入りするダンプカーが、住宅街をバックに厳つい存在感を醸し出す。そして、この厳ついダンプカーこそが、今日もっとも鮮烈な印象となったのであった。そんなことを考えながら交差点を渡ったところで「いしだ」という煎餅屋を発見。買い求めて帰宅後ばりりと食った。強めのしょうゆ味はいいけれど、歯触りがちょっと軽すぎる。

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2006年3月14日 (火)

ジェフリー・ディーヴァー 『獣たちの庭園』

獣たちの庭園
         ジェフリー・ディーヴァー 著
                 土屋 晃 訳

『マフィアの手先に政府から“殺人依頼”』

 ニューヨークの殺し屋がベルリンでの“仕事”に赴く話である。それも1936年、オリンピック開催を目前にしたベルリンだ。晴れがましい国際スポーツ大会の影でうごめく陰謀のドラマ。3センチ強の厚みに読み手は我を忘れる。
 開幕シーン。殺し屋ポール・シューマンが罠にはめられ当局の手に落ちる。送られた先は「ザ・ルーム」と呼ばれる米海軍情報部の一室。そこでポールを待っていたのは“政府による殺しの依頼”であった……。
 標的は「ドイツ国内安定担当全権委員」のラインハルト・エルンスト。架空の人物だがゲーリング、ゲッベルスと並ぶヒトラー政権の高官で、ドイツ再軍備の「糸を引く人物」と説明される。当時ヒトラーはヴェルサイユ条約で禁じられた再軍備を求めていたのだ。
 7月24日、ポールはフリーのスポーツ記者としてジェシー・オーエンスらオリンピック選手団とともにオリンピック村に入る。その日のうちに工作員と接触しようと外出するあたりからのある種独特な緊迫感が読み処。街にはヒトラーの暴力装置、SA(突撃隊)やSS(親衛隊)やゲシュタポ(秘密国家警察)が「うじゃうじゃいる」のである。しかもポールはSA隊員に監視されていた。大西洋を渡る船内にひそんだナチの熱狂的支持者が“疑惑の人物”と通報していたのだ。
 かくて“要人暗殺”を軸に追いつ追われつの物語が展開。息をもつかせぬサスペンスの連続に思わず生唾を呑み込んでしまう。 (文春文庫 本体905円) 05/10/05 12:47

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あくどく巧妙な“タバコの売り方”

悪魔のマーケティング
        ASH(Action on Smoking and Health) 編
         切明義孝・津田敏秀・上野陽子 訳・解説

『あくどいほど巧妙なマーケティング戦略』

 1995年の英国。
 タバコが原因で「年間12万1000人」が死亡した。同じ年の、交通事故死と食中毒・薬物乱用による死と、偶然の事故死、殺人、自殺、HIV感染死の合計が「1万9892人」とある。英国保険教育局の統計である。
 さらにWHO(世界保険機構)によって世界全体をみれば、タバコが原因で「毎年約300万人」が死亡しているという。

 この本は、それほど危険視されているのもかかわらず、欧米のタバコ産業がタバコ販売を押し進めている内情を“マーケティングの観点”からとらえた報告書だ。刊行されて間もないけれど、本書はいま話題沸騰の一冊となっている。

 お気づきのようにタバコの害悪を告発する内容の本である。
 ただ、焦点を“タバコの売り方”に絞っているところがおもしろい。タバコ産業はどのようにして低年齢の若ものや10代の少女や、ときには「14歳の子供たち」にタバコを買わせ、その販売量を増やしていったのかが追及されていくのである。
 その総体を「悪魔のマーケティング」と名付けたのは翻訳者たちのアイディアだろうが、わるくないタイトルだ。

 編者のASHはロンドンに本拠を置く健康推進団体。1971年に英国王立内科専門医によって設立され、喫煙率の減少を目的に政府へのロビー活動を行っているそうだ。ASHが主張する政策には、タバコ広告の禁止、禁煙の手助け、タバコ税の持続的な増税、職場や公共の場での禁煙義務づけなどがあり、その一つ一つがタバコ産業との大きな争点となってきた。

 本書発刊の土台となり、構成上の主軸を成すのは米国のタバコ関連訴訟を通して公表された「タバコ産業の内部文書」である。
 報告される数々の事実は、タバコ産業内部の科学者が「タバコの煙が健康によくないこと」を知った上で、タバコ市場を拡大し喫煙者を増やしていったようすを伝える。その典型例が、例の、フィリップモリス社マルボロの宣伝広告に登場するカウボーイ、マルボロ・マンであった。あのカウボーイ広告は「現代において最も成功した広告」とされているそうだ。
 マルボロ・マンが「唯一本物のアメリカン・ヒーロー」像と映り、若ものたちに受け、を用いた宣伝広告は大成功をおさめた。「独立と抵抗の象徴であるカウボーイのイメージは、若者を魅了するのにうってつけ」だったのである。
 タバコ産業が若年層を狙うのは「とにかく若い世代というのはお互いに影響を受けやすい。さらに、ひとは最初に吸い始めたタバコの銘柄を忠実にずっと吸い続けてくれるもの」だからだ。
 要するに、マルボロ・マンの背後にはあくどいほど巧妙なマーケティング戦略が潜んでいたのだ。

 本書のユニークな点は、タバコ産業が用いてきた販売手法の“巧妙なあくどさ”が、タバコ産業側のことばで明らかにされていくところにある。
 たとえばこういう談話がある。
 「喫煙は依存症がもたらす習慣であり、ニコチンは明らかに麻薬である」。
 チャールズ・エリスというBAT(British American Tobacco)の主任科学者が語った記録だ。驚くべきは、この発言が1962年のものであること。なぜなら、タバコ産業の側は、その36年後の1998年になっても依存症を否定していたのである。
 「人はいろんなものの依存症になります。インターネット依存症になる人もいれば、買い物依存症になる人もいる。セックス依存症だってあれば、紅茶やコーヒーの依存症だってありえます。タバコについて言えば、依存症はありません。ただタバコを吸う習慣が身につくだけです」。
 英国TMA(the Tobacco Merchants Association)のジョン・カーライルが雑誌インタヴューで述べたごまかし回答である。
 しかし、カーライル氏はどういう根拠で「依存症はありません」などと口にしたのだろう。
 いま考えれば滑稽でさえあるが、タバコ訴訟のプロセスがあったからこそ内部文書の存在が世界に知れわたったわけで、それを思えばカーライル氏の支離滅裂な回答は当を得ていたことになる。

 ニコチンに依存症があることは科学的にも証明された事実であるにもかかわらず、タバコ産業はこれを頑なに否定した。
 フィリップモリス社は1996年にこう語った。「タバコに依存症があると主張する人たちのタバコの受け止め方は非常に観念的なもので、科学的根拠に基づいた見解ではありません」。
 98年からは一転して依存症を認める発言も出てくるが、同時に「チョコレート依存症」や「恋愛依存症」ということばがちりばめられることとなる。つまり“依存症”という語は「日常会話で気軽に使われるようになった」のだった。“依存症”対策は、タバコ産業が打ち立てたマーケティング戦略の一環だったのだ。
 同じような例は、いわゆる「低タール」タバコの論議にも登場する。タバコ産業は「低タール」タバコは人の健康を損ねないといい続けるが、ASHにかかわる医師たちはそれがウソであることを見抜くのである。
 ことは科学的に証明されるだけではない。ニコチンがいくら少なくなっても「安全」ではないし、本当に少なすぎる場合はニコチン中毒が生まれず、タバコ産業のためにならないという皮肉な結果が待っているのだ。

 本書は喫煙愛好家の方にもお薦めだ。
 愛好するものの中身が、タバコの味でもなく、煙でもなく(本当に煙だけを吸い込んだら咳が止まらない)、猛毒のニコチンだけであると認識できるからである。 (日経BP社 本体2000円+税)

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