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2005年10月30日 (日)

パンを焼いた街

 パンのことを探るうちにたまたま本拠を京阪神圏に置いているサイトを知った。日本で最初にパンが焼かれた街は神戸ではなかったかなぁ。ま、そんなところが関心の的。トラックバックを試すチャンスでもあるし。

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2005年10月13日 (木)

ユーリ・バシュメット

 先に仕事前のひとときにブラームスの『ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調』を聴いている話を書いていて、ヴィオラ奏者のユーリ・バシュメットという名を出した。その後、ちょいと気になってサイトを探っていたら、なんとなんと、旧知の児島宏子さんが通訳をなさるユーリー・ノルシュテインのインタビューと出っくわすではないか。その中にユーリ・バシュメットをめぐるエピソードが出てくるので、一部を引く。

 <ある時、私達はナターリャ・グッドマンという世界的に有名なチェリストに招待されてホスピスセンターに行き、死を前にした人々の快い時を、講演したり、ロストロポーヴィッチも演奏しました。その時にそこの所長は言いました。
 「死を前にここにやってくる人は、どういう人生を送ったか、どういう死に方をするか、もうわかるんです。」
 ナターリャの夫でオレーク・カガンというバイオリニストは、死の少し前に、ユーリ・バシュメットというビオラ奏者に電話して「こっちに来てくれよ、一緒に演奏しようよ」と言いました。それでカガンの状況を知ってたユーリ・バシュメットはびっくりしたんです。死を前にして一緒に演奏したんです。これこそが生きる意味なんです。この時こそ、あらゆる考えが自分の場所を得るのです。ですから私はアニメーションがいわゆるプーシキンや、リヒテルやオレーク・カガンや、そういう人たちが意味を込めたような「芸術」の一部分になる事をとても願っています。そういうものに出会ったから、一位になるかと二位になるとか、そういうふうに選ばれたという事で、それに狂喜する、という訳にはいきません。それで私はこれによるあらゆるインタビューを断ったりしたんです。> http://www.comicbox.co.jp/comicbox/whiles/norshtein.html 

 そうだよなぁ。あらゆる考えが自分の場所を得る、というのはもっとも本来的な状態だ。なんだか今朝は、仕事に掛かるのが遅くなったけれども大いに励まされる朝となった気がするよ。 washiroh

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ヴィオラ・ソナタ

 今朝は仕事にかかる時刻がいつもより遅くなった。寝坊したからだ。目が覚めたら7時半を回っていて、朝食を済ませたのが8時40分。新聞をちらと見、こうしてパソコン前に座ったわけだ。文字入力の前にCDのスウィッチを入れる。

 ブラームスの『ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調op.120-1』が聞こえてきた。昨夜聴いていた曲だ。ユーリ・バシュメットのヴィオラ、ピアノはミハイル・ムンチャンとある。ぼくはこの曲の冒頭のピアノ部分が好きで、このごろよく聴いている。ポ~ロポロポロ ポロポロポロリンと1小節の半分かとも思えるようなわずか5~6秒の導入部で、そこにヴィオラが、それはひそやかに、美しく入り込んでくるのだ。で、仕事を始める。まさに“ながら”の道具にしちゃっているわけだからブラームスには申しわけないが、ま、21世紀のビンボウ人はそんな風に稼いでいるわけよ。

 ブラームスが活躍した19世紀後半のウィーンには、たくさんのビンボウ人がいたらしい。後年のわれわれに伝えられるのは著名人ばかりだが、たとえばベートーヴェンもシューベルトも、貧しかった。ただビンボウ人にもいろいろあって、要するに貧しさの中身が違っていたのだ。ビンボウ人なりのランク、といってはナンだが、そういった差異があったのは事実だそうで、中には馬車の行く手を照らす灯明をもつ役目を仕事ととするビンボウ人もいたという。いまでいうなら車の照明係だぜ。走りっぱなしだったのだろうなぁ、たいへんだなぁ。  

 ビンボウにいろいろある情況はいまの東京そっくり。そんな一人に自由業のぼくがいて、給料生活ではないだけに仕事を休むわけにはいかない。仕事の手を動かしつつ、耳には音楽が入ってくる。ヴィオラ・ソナタ第1番はすでに第4楽章のヴィヴァーチェ(ロンド)に入っている。こうして、毎朝パソコンに向かいながら音楽をかけるが、そのたびにかつてパリで取材した“椅子作りの職人”を思い出す。

 モンマルトルの丘の坂の途中でルイ14世,15世様式の上等な椅子を作っていたこの職人についてはいずれ書きたいが、その仕事場にも、ブラームスではなかっただろうが音楽が流れていたのだ。 washiroh

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2005年10月11日 (火)

2005年の秋雨前線

 秋雨前線の影響で小雨降る日々が続く。
 8日(土)9日(日)10日(月)、と世の中は3連休であった。
 とはいえ例によってぼくは仕事をするばかり。3日間の大半をパソコンに向かって過ごしていた。
 いまは連休明けの火曜日が暮れ、夕食を終えたたところだ。

 今日、郵政民営化法案が衆議院を通った。夕方のニュースに映った小泉首相の顔はまさに“してやったり!”のニンマリ笑い。ぼくは思わず顔を背け、テレビを消した。
 しかしそれではパキスタン地震のニュース映像を見ることができないことに気付き、再びスイッチを入れた。
 前回反対した自民党議員のうち、本会議で反対したのは平沼赳夫前経済産業相ただ一人。野呂田芳成元農相が欠席したほか11人の同党議員はみな賛成に回った。
 法案の中身は前回と大体同じなのだから、反対から賛成に変わった面々は郵政民営化反対を訴えて当選したにもかかわらず政治信条を覆したわけで、議場での行為をもって有権者をバカにしたことになる。
 が、おそらく当人たちはそんなことにも気づいていないのだろう。
 まったく呆れ返るお粗末議員だが、それもこれも投票した有権者が愚かだからだ。国会を空洞化させたのはとりもなおさずそうした有権者たちで、ま、議員からバカにされても仕方がないな。
 しかし、これで日本の国は悪くなる。
 いまでもかなりひどいが、巨大与党の下で一層悪くなる。
 国会が空洞化しているというのは“議会の消滅”を意味し、つまり、いまの日本には討議を経てコトを考えていくという場がなくなったのだ。

 政治というのは生活の中でもっとも身近にしてもっとも興味深いことのはずなのだが、先般の総選挙以来そうではなくなった。
 それどころか、いまや日本の行く末自体が心配な事態となっている。
 富裕層はそうは考えないだろう。なにしろ小泉政治は富裕層向けの政策しか打ち出さないのだから。
 しかし、いま具体的に割合を示すことはできないけれどもほとんどの国民は富裕層には属していないのだ。郵政民営化の結果、たとえば郵貯の預金額残高に制約がかけられたり郵便局でのATM使用に手数料が要ることになったりすると困る人々が少なくない。
 夕刊には、谷垣禎一財務相が尾辻秀久厚生労働相に会い「厚労省が来週にも公表する医療制度改革の試案に診療報酬引き下げなどの医療費抑制策を盛り込むよう要請した」という。
 なんとね。
 高齢者の医療費がまだまだ値上げされるということだ。毎日新聞(だけではないが)それを「医療制度改革」などと、あたかも“いいことが進行中”であるかのごとくデマ報道。有権者も愚かだがマスコミはさらに愚かしい。

 いまぼくは、永井荷風とか谷崎潤一郎とか小林秀雄とか川端康成とか、あるいは内田百閒とか太宰治とか、任意に並べればそういった“政治性を離れた”日本の文学者たちのありようについて考えたくなってきた。彼らも政治の愚劣とつまらなさに突き当たったのではなかろうかと、何となくそんな気がしてならないのだ。 washiroh

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2005年10月 9日 (日)

封印した記憶

◆ アンクルトムズ・ケビンの幽霊
                                                  池永 陽 著

 駅裏のおでん屋で酒を飲み、酔った帰り道にギター弾き語りの歌が聞こえてくる。風がさらさら吹きぬけて/生れたばかりの子供の手、と始まるその歌の「八月二十二日を私は忘れない」という歌詞が酔った頭の片隅にこびりつく。物語のキーワードともなるひと言、いわば物語のドラマティックな展開をうながす種となる言葉なのだ。歌声を耳にとめた主人公にその意味はわからないが、明治四三(1910)年八月二二日の「日韓併合」を指している。
 本書の冒頭シーンである。主人公の西原章之は四五歳の鋳物職人。岐阜県郡上八幡のマンガン鉱山で育ち中学を卒業して集団就職で鋳物工場の藤田鋳工に入った。妻の邦子はグラフィックデザイナーで、あるとき「溶けた鉄の色が見たいんです」と工場に現れた。いまは仲間と小さなデザイン事務所をやっている。ひとり息子の直樹は芝居をやりたいと家を出た。邦子も直樹も自分の世界に入ってしまい、章之はつねに奇妙な孤独感を強いられる。物語の基調音はここから奏でられていく。弾き語りの路上芸人はフウコ。二〇歳位の朝鮮人で、三人のタイ人と同居していることがのちに知らされる。
 三人のタイ人は章之がいる藤田鋳工で働いており、章之は時々ビールや肉などを持ち込んで彼らのアパートを訪ねる。で、ある日、そこにフウコがいたのだ。タイに帰ったら鋳物師になりたいというリーダー格、チャヤンと気が合うらしい。
 ときは五月。藤田鋳工は一〇日あまり後に給料日を迎える。社長の藤田は章之に、給料日がくる前に入管に電話しろと命じていた。不法残留のタイ人三人を「強制送還させて未払い分の給料を帳消しにしようとしている」のであった。
 従業員募集の貼り紙を見たチャヤンたちが工場にきてから一年ほど経つ。が、給料が真っ当に払われたのは「最初の二ヶ月だけ」だった。あとは半分未払いのままで入管への密告が企てられている。「外国人労働者の代りなんぞ掃いて捨てるほどいる」というわけだ。ここにもドラマを盛り上げる種がひとつ埋め込まれている。後段のクライマックスで発火する火種である。
 五月の明るい空の下にあって、章之の心は晴れることがない。本書の特長は、こうした章之の鬱屈感を、日常性のひだを通して淡々と描いていくところにある。たとえば、夫妻の「収入が逆転」した後の状態を告げるこういう描写。「私の神経は邦子の言動に異常に敏感になり、邦子の言葉の端々にワンランク下の人間に接するような見下したにおいを嗅ぎとるようになった」。
 家庭の問題、職場の問題、チャヤンたちタイ人労働者の問題。ひとりの中年男が生きるためにはいくつもの問題を引き受けなければならず、この小説はそのすべてを描く。
 何かの折りにフウコがつぶやいた「北に帰るわ」という言葉が、章之に“封印した記憶”を掘り起こさせる。故郷のマンガン鉱に、つてを頼って朝鮮人の母と娘が働きに来たのだ。娘のチェ・スーイン(崔秀仁)は章之と同じ中学生。切れ長の目が「観音様のように涼しげで柔らか」だった。母子は、猟師の避難小屋のようなところに住んだ。鉱山の幼なじみはそこを「あれはアンクルトムの小屋や。黒人奴隷が住んどったアンクルトムの小屋や」といった。
 つらい日々が続き、結局スーイン母子は北へ帰ってしまう……。
 後半、物語はこの小屋を目指してまっしぐらにすすむ。
 章之は、「何もかも放り投げて、それでもやらなければいけないことはあるのだ」と肝に銘じ、スーインが暮らした小屋に向かう。あえて詳述を避けるが、やがて読者は、章之が「土間に突っぷして泣いた」という描写に出会う。そして、中年男のあられもない号泣がもつかけがえのない重さに納得し、感動する。(角川書店 本体1300円+税) <週刊金曜日 2003.06.>

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“株主主権論”を否定

◆ 会社はだれのものか
                                                          岩井克人 著

『株主主権論を否定する会社論』

 先般の、ライブドアとフジテレビによるニッポン放送をめぐる買収合戦は「いったい、会社はだれのものなのか」という“大問題”を世間の人々に突きつける結果を生んだ。
 経済理論を専門とする著者は、この問題を「経済学・経営学・法学における最大の論争点」と考えている。で、それがテレビを通じて茶の間に入り込み、熱い議論の対象となっていることを「観客の1人」として興味深く見つめていたという。
 それがきっかけとなり本書が生まれた。

 ニッポン放送をめぐる買収合戦は「会社はだれのものか」の解答までは示さなかったのだ。いや、示さなかったのではなく“間違った解答”を示したといったほうが正しいかも知れない。
 そして、それもまた本書を世に出す動機に結びついたのだった。

 あの買収合戦で特徴的だったのは「“会社は株主のものでしかない”と主張するアメリカ型の株主主権論」が主要な論点となったことだった。
 本書で著者は、その株主主権論を「法理論上の誤り」と徹底的に否定する。
 著者の主張は「もし株主主権論が正しければ、会社とは株主の道具にすぎないことになり、株主となった個人に利益を与えるかどうかが、その唯一の存在意義であることになってしまいます」という発言に凝縮されている。
 本書の前段はそこに向けて、たとえば「会社」とは何かといった本質的な概念規定から説き起こされ、資本主義の沿革とか、時代の変遷と社会構造の関わり方とかといった広い範囲のことが、まるでレンガを積み重ねるようにきっちりと語られる。経済を語る本にしては珍しいことだが、持ち味は諄々と説く口調にあるといいたい。この本は、内容の広さ深さに加えて“知性の体温”といった感覚をも与えてくれるわけである。
 たとえば、会社とは何かを解説するくだりにこういう一節がある。
 「要するに、アメリカ的な会社のあり方も日本的な会社のあり方も、会社というものがそもそも持っている二階建て構造の、それぞれ二階部分と一階部分のどちらを強調するのかということの違いでしかない。そう考えれば、どちらが特殊でどちらが普遍かというような議論は無意味です」。
 「別の言い方をすれば、会社は株主のものでしかないという株主主権論は、本来二階建ての構造をしている会社という仕組みの二階の部分のみしか見ていない、法理論上の誤りなのです」。

 じつは、念のために書いておくけれど、ここまでに「企業」と「法人」との“大きな違い”についての話が繰り返し述べられている。 その中で著者は、人形浄瑠璃を用いて「法人」の説明をするのだが、これがじつにわかりやすい。ヒトと人形が一体となる形で舞台が作られる状態を「法人」に喩えているわけである。
 ちなみに“法人化されていない「企業」”の場合は、オーナーである主人「みずからが経営にあたる」ことから歌舞伎役者に喩えられている。
 密度の濃い本なので紹介したいことがいろいろあるが、後段に、いま注目を浴びている「会社の社会的責任(CSR)」について論ずる場面があり、ここは重要だ。
 著者は、CSRとは文字通り「会社」の社会的責任をいい、決して「企業」の社会的責任のことではないのですという。つまり「ここでも、法人企業ととしての会社とたんなる企業との区別が、本質的な意味を持つことになります」ということで、そう、本書に一貫して書かれているのは「法人」に関する懇切丁寧な解説なのである。

 会社は「社会のもの」というのが本書の結論だが、その基盤となる考え方がすばらしい。
 たとえば基本的人権が、初めは少数の人間だけに通用するものだったのに、いつの間にか多くの人に共通の基本(ファンダメンタル)となってきたのにも似て、人間は歴史の中で「徐々に“ファンダメンタルズ”を増して、少しでもまともな社会を実現しようと努めてきたのです」というのである。

 第2部は対談だ。
 小林陽太郎、原丈人、糸井重里の3氏と著者とが、あらためて会社のありようを語る。
(平凡社 本体1400円+税) <“C&C”サイト POP-Marketing 2005.07.>

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2005年10月 8日 (土)

明石海人と島 比呂志

海の蠍
                                  山下多恵子 著

 かつてハンセン病患者は過酷な差別を受けた。患者にとっては「人類の外に押しやられてしまったような疎外感」と著者は書く。歌人・明石海人も、作家・島比呂志も、その病に苦しみ、苦しみを言葉にしながら生きた。作品として紡ぎ出される言葉は、文字通り「全身全霊で伝える言葉」であった。この本は、そういう二人の生涯と作品について書かれた心のこもった労作である。
 冒頭で著者は、ハンセン病という呼び方が、患者さんたちの長い闘いを経てやっと勝ちとられた呼称であると伝えたうえで「本書では旧来の“癩”という呼称をあえて使わせていただくことを、あらかじめお断りしておく」と述べる。明石海人の歌集『白描』の有名な序文が「癩は天刑である」と書き始められ「癩はまた天啓でもあった」と結ばれるように、彼らは、自らの病を「ハンセン病」ではなく「癩」として認識していたからというのがその理由だ。
 著者はまず、数え三九歳で逝った明石海人の謹厳にして壮烈な人生を見つめていく。
 癩の患者は失明をまぬがれない。その覚悟が「末期の眼」となり、海人は、感覚をとぎすませた歌を残した。たとえば、身もだえるような絶望感を詠んだ一首。<人の世の涯とおもふ昼ふかき癩者の島にもの音絶えぬ>――。失明に加えて「気管切開」が海人を襲う。咽喉の下を切り開き、金属の管をはめることで呼吸を確保するのである。「癩患の大受難」といわれる医療処置だ。
 空に字を書く指はない。言葉を伝える声も出ない。「そのようにして発せられた言葉を私たちは読んでいる」という著者のひと言に、読み手は思わず天を仰ぐのである。
 後段の「島比呂志の地平」も、闘う作家・島比呂志の誠意が伝わる評伝。「彼らの残した言葉を前にするとき、厳粛な思いにとらわれる」という著者の眼力に胸を打たれる。(未知谷 本体2400円+税) <週刊金曜日 2003.11.>

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2005年10月 6日 (木)

闇社会にみる現金の奔流

◆ 巨大化するアメリカの地下経済
                                 エリック・シュローサー 著
                                       宇丹貴代美 訳

 いきなり数字の話になるが、一九六四年以降、カリフォルニア州を襲う都市化の波は四百万ヘクタール近い農地を消失させたという。日本の全耕地面積が約四七三万ヘクタール(平成一五年)で、オランダの国土面積が約四一八万ヘクタールだ。何となく、消えた農地の規模が見えてくる。しかし奇妙なことに、カリフォルニア州の農業生産高は減っていない。殊に本書で報告されるいちご農場の場合、過去三〇数年間で約六倍に増えているのである。なぜか。
 不法入国による季節労働者が激増しているからだ。現在カリフォルニア州では、作物によって差はあるが「季節労働者のおよそ三十ないし六十パーセントを不法入国者が占めている」とある。「いちごは労働力をとくに必要とする条植え作物」であり、栽培には費用もかかるが「単位面積あたりの収益はおよそどんな作物よりも高い」という。いわゆる「高価な特殊作物」というやつだ。収穫は「すべて人の手で」行われるから、いちご生産者にとっては人件費の削減が莫大な利益に結びつく。その極端なやり口に「労働者を名簿に載せない」といったような違法行為がある。多くの生産者は公正を心がけているがと前置きして著者は、「最近、一部の生産者は時勢を失っている」と書き、実態を報告する。
 本書には、そうした違法行為が生み出す地下経済の実状が描かれる。『ファストフードが世界を食いつくす』で抜群の取材力と表現力を世界に知らしめた著者が、統計数字には決して表れないカネの動きを追って再び綿密な調査の結果を明らかにする。調査の対象は、マリファナの取締り状況と、いちご農場の労働実態と、ポルノ業界の変貌ぶり。
 最重要ポイントは「地下経済」が闇社会独特のものではないことを知らされる点にある。読者は、そこに流れる現金の奔流がアメリカ経済を支えている現実に驚かされる。(草思社 本体1700円+税) <週刊金曜日 2004.03.>

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2005年10月 2日 (日)

今夜のところは

 本をめぐるぺーじを設けようと思い、ともかく<書物さまざま>という名のカテゴリーを作った。が、いろいろと用アリで本文を書く時間がない。

 いちばん最近読み終えた本は鳴海章『えれじい』(講談社)で、読み始めたばかりのものはジェフリー・ディーヴァーの翻訳最新刊『獣たちの庭園』(文春文庫)である。今夜のところはそう書き置くにとどめ、いずれゆっくりと書いていこう。また、いくつかの場で発表した文章もここに再録するつもり。

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2005年10月 1日 (土)

松本武夫くんの訃報

 松本武夫くんが死んだ。心臓をやられたらしい。会議中に倒れ入院。意識が戻らないまま9月26日の夜に逝去。29日の通夜には駆けつけたが翌30日の告別式には行かれなかった。送るべき原稿が書き上がっていなかったからだが、告別式に参列できなかったのは残念だった。

 知らせがあったのは9月27日の夜だった。いつになく遅い時間に電話のベルが鳴り、出ると田島くんからで、おう、どした? と聞くと「松本が死んだよ」という。一瞬わけがわからなかった。椅子に座り込みながら「なにっ?」と答えた。手分けして仲間への連絡をすることとして受話器を置いたが、びっくり仰天の事態にすぐには動けない。

 北澤くんと平野くんと土器屋くんに知らせた。夜11時すぎといえばすでに深夜だからその旨あやまると「いや、まったくかまわない」といい、異口同音に「本を読んでいた」という。のちに金町の飲み屋に入り、みんなで献杯をしたのだがそこで平野くんが「それぞれ昨夜読んでいた本を教えろ」といいだしたのが、だから、ぼくにはじつにおもしろかった。彼は自分が本を読んでいたことを前提に、仲間の誰もが本を読んでいたと信じて疑わない。もちろん読んでいない者だっていていいわけで、しかし実際には誰もが読んでいたのである。

 松本くんと出会ったのは1962年4月、早稲田の露文に入学した直後だった。新入生向けのセレモニー期間が終わり、語学の講義が始まったころではなかったかと思うが、別に席順といったものがあったわけでもなく漫然と座った席が彼の隣だったのだ。午前中の授業が始まるときに挨拶をされた。そのことばは覚えていないがお互いに自己紹介をし合ったのだろう。覚えているのは次の場面だ。彼は「君はどうして露文に入ったの?」と聞いてきたのである。

 一見ごく通常の問いとも聞こえるが、ぼくはある種“異なった空気”を感じさせる問いだった。出会ってからしばらく経ち、共通の体験なり経験なりをいくつか重ねたのちにそう聞きたくなる気持はぼくにもあるが、これから露文暮らしが始まるというまさにその瞬間に発せられるべき問いとは思えなかったのだ。そのため返答に困ったが、ともかく「ロシア文学はおもしろいからだよ」と答えた。「しかし就職はどうするんだよ、方向は決まっているのかい」というのが3つめの質問で、こうなると「そんなこと何も決まっちゃいないよ」と話題そのものを放り投げるしかしょうがなかった。が、授業が終わったときに「昼食を一緒にたべないか?」と誘われ、そのころ文学部校舎の真向かいに盛り上がる穴八幡神社の丘にあった食堂へ行った。考えてみれば、この昼食が彼とぼくとの交友関係の最初の一歩だったのだ。

 いま思うと、最後にあったのは8月初めの神保町だった。あの日は露文仲間5人がぼくの快気祝いをやってくれるということになり、神保町のランチョンに集まったのだ。ぼくは八王子から京王線経由で向かったら乗換時間がうまくいったせいで案外早く着いた。本屋でスー・グラフトンの新作を見つけて買い込み、それでも15分ぐらい早くランチョンに入ることができたのだが、まだだれもきていなくて、奥の中央部にしつらえられた6人用の予約テーブルについたのは一番先だった。間もなく平野くん、北澤くん、寺崎くんが現れ、少し遅れて6時半ごろ田島くんがきたが、松本くんの到着はそれから15分ほどあとになった。ぼくの右隣に座り、みんなでやぁやぁやぁと再び杯を合わせることとなったわけだが、ぼくが“おや”と思ったほど松本くんの顔色はよくなかった。ただ、隣なので横顔しかわからない。何もいわないでいたら、もうここからは“くん”をやめるが、平野が「どうした松本、顔色が悪いぞ。働き過ぎだよ、仕事なんか早くやめろよ」という。一同口をそろえ土気色だの、いや妙に白っぽいだの、血の気がないだのとひとしきり松本の顔色についていろいろと騒いだのであった。
 席を換えようということになり、松本が知っているそば屋があるというので駿河台下周辺をぐるぐる歩き、やっと見つけたら満員で入れない。ふと見ると筋向かいにもそば屋があり、2階に小座敷があるという。ではここにしようと上がり込み、酒だ焼酎だといつもの通りの愉快な時間が流れたのだった。
 このとき、井伏鱒二が話題になったきっかけは何だったのだろう。
 平野が『黒い雨』を推し、田島も推し、もちろん異存ある者はいないわけだが、しかしあの作品は後年のものだからと誰かがいったのだ。すると松本が「それなら『遙拝隊長』を読むといいよ。初期の短編だ」といい、しばらく同書と井伏鱒二の話が続くことになった。

 いまぼくは、8月に松本を含めた6人で楽しい酒を飲めてよかったと心から思っているところだ。
 そして松本が『遙拝隊長』の話を切り出したシーンは一生忘れないようにしようと決めた。 washiroh

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