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2005年10月 1日 (土)

松本武夫くんの訃報

 松本武夫くんが死んだ。心臓をやられたらしい。会議中に倒れ入院。意識が戻らないまま9月26日の夜に逝去。29日の通夜には駆けつけたが翌30日の告別式には行かれなかった。送るべき原稿が書き上がっていなかったからだが、告別式に参列できなかったのは残念だった。

 知らせがあったのは9月27日の夜だった。いつになく遅い時間に電話のベルが鳴り、出ると田島くんからで、おう、どした? と聞くと「松本が死んだよ」という。一瞬わけがわからなかった。椅子に座り込みながら「なにっ?」と答えた。手分けして仲間への連絡をすることとして受話器を置いたが、びっくり仰天の事態にすぐには動けない。

 北澤くんと平野くんと土器屋くんに知らせた。夜11時すぎといえばすでに深夜だからその旨あやまると「いや、まったくかまわない」といい、異口同音に「本を読んでいた」という。のちに金町の飲み屋に入り、みんなで献杯をしたのだがそこで平野くんが「それぞれ昨夜読んでいた本を教えろ」といいだしたのが、だから、ぼくにはじつにおもしろかった。彼は自分が本を読んでいたことを前提に、仲間の誰もが本を読んでいたと信じて疑わない。もちろん読んでいない者だっていていいわけで、しかし実際には誰もが読んでいたのである。

 松本くんと出会ったのは1962年4月、早稲田の露文に入学した直後だった。新入生向けのセレモニー期間が終わり、語学の講義が始まったころではなかったかと思うが、別に席順といったものがあったわけでもなく漫然と座った席が彼の隣だったのだ。午前中の授業が始まるときに挨拶をされた。そのことばは覚えていないがお互いに自己紹介をし合ったのだろう。覚えているのは次の場面だ。彼は「君はどうして露文に入ったの?」と聞いてきたのである。

 一見ごく通常の問いとも聞こえるが、ぼくはある種“異なった空気”を感じさせる問いだった。出会ってからしばらく経ち、共通の体験なり経験なりをいくつか重ねたのちにそう聞きたくなる気持はぼくにもあるが、これから露文暮らしが始まるというまさにその瞬間に発せられるべき問いとは思えなかったのだ。そのため返答に困ったが、ともかく「ロシア文学はおもしろいからだよ」と答えた。「しかし就職はどうするんだよ、方向は決まっているのかい」というのが3つめの質問で、こうなると「そんなこと何も決まっちゃいないよ」と話題そのものを放り投げるしかしょうがなかった。が、授業が終わったときに「昼食を一緒にたべないか?」と誘われ、そのころ文学部校舎の真向かいに盛り上がる穴八幡神社の丘にあった食堂へ行った。考えてみれば、この昼食が彼とぼくとの交友関係の最初の一歩だったのだ。

 いま思うと、最後にあったのは8月初めの神保町だった。あの日は露文仲間5人がぼくの快気祝いをやってくれるということになり、神保町のランチョンに集まったのだ。ぼくは八王子から京王線経由で向かったら乗換時間がうまくいったせいで案外早く着いた。本屋でスー・グラフトンの新作を見つけて買い込み、それでも15分ぐらい早くランチョンに入ることができたのだが、まだだれもきていなくて、奥の中央部にしつらえられた6人用の予約テーブルについたのは一番先だった。間もなく平野くん、北澤くん、寺崎くんが現れ、少し遅れて6時半ごろ田島くんがきたが、松本くんの到着はそれから15分ほどあとになった。ぼくの右隣に座り、みんなでやぁやぁやぁと再び杯を合わせることとなったわけだが、ぼくが“おや”と思ったほど松本くんの顔色はよくなかった。ただ、隣なので横顔しかわからない。何もいわないでいたら、もうここからは“くん”をやめるが、平野が「どうした松本、顔色が悪いぞ。働き過ぎだよ、仕事なんか早くやめろよ」という。一同口をそろえ土気色だの、いや妙に白っぽいだの、血の気がないだのとひとしきり松本の顔色についていろいろと騒いだのであった。
 席を換えようということになり、松本が知っているそば屋があるというので駿河台下周辺をぐるぐる歩き、やっと見つけたら満員で入れない。ふと見ると筋向かいにもそば屋があり、2階に小座敷があるという。ではここにしようと上がり込み、酒だ焼酎だといつもの通りの愉快な時間が流れたのだった。
 このとき、井伏鱒二が話題になったきっかけは何だったのだろう。
 平野が『黒い雨』を推し、田島も推し、もちろん異存ある者はいないわけだが、しかしあの作品は後年のものだからと誰かがいったのだ。すると松本が「それなら『遙拝隊長』を読むといいよ。初期の短編だ」といい、しばらく同書と井伏鱒二の話が続くことになった。

 いまぼくは、8月に松本を含めた6人で楽しい酒を飲めてよかったと心から思っているところだ。
 そして松本が『遙拝隊長』の話を切り出したシーンは一生忘れないようにしようと決めた。 washiroh

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コメント

 『夢幻都市』へのご来訪を昨日まで知らず、返信がおそくなりました。
 松本くんとサンクト・ペテルブルグへいらした由。彼からは一度、奥さん娘さんと一緒にサンクト・ペテルブルグへ行った話を聞きましたが、その時にご一緒だったのでしょうか。
 変哲もないブログですが、どうぞまたお越し下さい。
 今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: washiroh | 2006年3月14日 (火) 14時13分

松本さんの「弔辞」を川端文学研究会の年報に書こうとして、貴ブログを拝見。
葬儀当日、講演のため青森に参っており、私も葬儀には参列できず、松本さんはロシア文学者だった、との弔電をお送りしました。
ペテルブルグで二人で過ごしたことを思い出しました。
寂しいものです。
ご挨拶まで

投稿: 平山三男 | 2006年3月11日 (土) 18時25分

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