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2006年8月26日 (土)

夢と“目ショボ発作”

 夢の中で眠くてならず、夢の中なのに眠ってしまい、夢の中でさらに夢をみていた。

 場所はなぜか信濃町。新宿まで歩こうと足を踏み出したのはいいが、新宿通りがどこだか分からない。それどころか自分がいるところが信濃町なのかどうかさえ分からなくなり、要するに道に迷ってしまうのだ。いっこうに見知った場所が現れず、やがて人家もとぎれがち。あっという間に風景が豹変、気がつけば山道を歩いているのであった。さすがにこれは道が違うと後戻りし、ふと左を見ると駅のプラットフォームらしき風情。やれありがたやと人混みに紛れ込んだ。何かの表示からJRの新線なのだと判明。道に迷ったおかげで初めての電車に乗れるのだ、うれしい、と歓んだ瞬間に目が覚めた。いつもの布団、いつものベッド、いつもの室内光景。時計を確かめると3時間ほど眠っていたことになる。

 で、朝の7時からまたパソコンを起動させ、まずは『社会ウォッチ』を書いてしまおうと海外のニュースサイトを開く。BBCCNNニューヨーク・タイムズロサンジェルス・タイムズなどなどトップ見出しだけざ~っと見て行く。とはいえ実際にアタマの中で気になっているのは海外報道とはまったく関係のない出来事で、横浜市の産婦人科病院で起きた“無資格助産事件”なのだ。助産師(助産婦と書きたいが我慢)が不足しているときに助産師以外の者がお産を手伝ってはいけないというのは不合理じゃないかと思えてならないのである。それを『社会ウォッチ』に書きたいのだが、まだ分からないことが多すぎる。週明けまで待ってみようかなと思いながら国内紙のサイトを見始めた。

 起床して約2時間。埼玉県吉川市で起きた中学生による放火事件を採り上げようかと探り出したが、突然目を開けていられなくなった。急いで目薬をさし、横になって目を閉じる。この数ヶ月、こうした“目ショボ発作”に悩まされている。医師はパソコンを見つめる時間を少なくするようにというが、そうもいかない。手術というほどの段階ではないといわれたことだけにすがって仕事を続けているのだが、だから“目ショボ発作”が始まると用心深く目を休める。かくて、今日もまた、仕事がはかどらないのである。

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2006年8月21日 (月)

泣きべそ

 いま日付が変わってしまったが、20日日曜日はパソコン前に座ったきりで1日過ごし、仕事三昧。といってもさほどはかどったとは思えず、待ってもらっている締め切りの、○○と◎◎がまだ出来上がらない。弁解の一つが長く治らない筋挫滅で、今日はキィボードを打つたびに右手親指近辺に激痛が走る。怖くなるのでいったんやめ、湿布薬を貼り直して再び書く。ビビン、ビビン、ビビンと激痛が少しずつ増してくる。限界でまた休む、という繰り返し。困ったよお。

 今日も暑い日であった。八王子の暑さがぼくには快い。とはいえ、座って仕事をする身であってもうっすらと汗にまみれ、扇風機を1時間ばかり回した。が、それで充分なのだ。冷房装置なんぞで冷え込ませるより風をうけてほっとするていどが、いい。そういう暑さのなか、カミさんは伯父の納骨式に出るため上野千駄木まで出かけていった。団子坂上の光源寺で納骨式が行われる。達雄さんというその伯父はがん転移にこらえきれなくなったのだ。蓮太郎と陽次郎がそれぞれ生まれたばかりの頃からじつに可愛がってくれた記憶が次々に思い出される。納骨式にぼくも行きたかったが、いやぁ時間がつくれない。カミさんだけが行ければ大丈夫ということで、欠席させてもらうことにした。八王子とは異なり上野の暑さは凄かったようだ。その後、大崎の書展に回り夕刻帰宅。その間ぼくは手の痛みや目のしょぼしょぼに耐えながら仕事をしていたことになる。が、やっと「社会ウォッチ」の2本を書き上げただけで、目覚めた折に考えた予定の半分も行かない。

 仕事の不備に泣きべそをかきながら、寝る。 washiroh

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2006年8月18日 (金)

暑い朝の苛立ち

 8月も半ばを過ぎてから本格的な猛暑となった。今朝の暑さはかなりのもので仕事を始めるときから扇風機を回している。スウィッチを入れながら、八王子にきてからこういうことは滅多にないなと思った。高原にいるような気温なので扇風機をつけるにしても日に何度か、30分ほど回せば事足りてしまうのだ。もはやクーラーなんぞまったく不要。乗った電車が「弱」ではない冷房車だと身体の調子がいささか悪くなった気がするのである。仕事を始める際の定番に冷やした緑茶があるが、これは湯冷ましの水で煎れなければいけない。さっきグラスに一杯入れたらビンが空になったので湯冷ましの入ったヤカンから作ろうとしたら、お湯がまだやや温かかったのでやめた。温かい湯だと茶からカフェインが出てしまい、目によくないのだ。だから水の温度になるまで待ってから煎れる。そうするとカフェインが抑えられるのだと教わった。かたわら、これも定番だが煎れたばかりのコーヒーもおいておく。カフェインを避けるべきなのにコーヒーを飲んではしょうがないではないかとも思うが、これははずせない。医者も日に3杯まではいいだろうといっていた。コーヒーのせいでカフェインの摂取許容量がなくなり、そのために熱い緑茶が飲めないのである。朝食に、今日も8枚切りの食パンをトーストで食べたが、ハムトーストとコーヒーがじつによく合うのである。例によって半端な残りには蜂蜜を塗り、結局3枚食べてしまった。

 仕事にとりかかる前から飲み物をどうするなどということに神経を使ってしまい、くたびれるのも当たり前だ。今日はまず、いつものように『社会ウォッチ』を書いてしまわなければ何もできない。毎週のことながら金曜日は週末分の原稿を3本送る必要があり、落ち着かない。1本目は加藤紘一議員が被った実家焼き討ち事件を題材にしようと思っている。自らの考えをメディアを通して公にするのは政治家ならば当たり前のことなのに、日本は民主主義国として成熟していないからか、加藤議員の考え方を知って気に入らなかった者が山形県鶴岡市大東町にある議員の実家に火をつけたようなのだ。世の中にはいろんな人がいるから面白いのである。いろんな人がいるから社会が前にすすむのである。自らとは異なる考えをもつ人がいるから話し合いが必要となり、議論が成り立つ。話し合いも議論もなしに、ただ気に入らないから暴力的に振る舞うのは卑怯者のやることだ。イスラエルのオルメルト首相なんぞはその最たるもので、強力な爆弾を大量に使って、ひたすら一方的に、レバノンの子どもたちを何百人も殺した。卑劣な行為として歴史に残るだろうが、今度の加藤議員宅全焼事件にしたって同じことだ。朝のラジオ番組で、小澤遼子さんが加藤議員の盟友といわれている小泉首相は火事を気遣う何事かを行ったのかね(?)といった内容の話をしていたが、この件、じっさいはどうなのだろうか。もっともなぁ、小泉首相って人はジョージ・ブッシュ大統領と手に手をとるようにして他国破壊を推し進めてきたからなぁ。いきなり得意の居直り戦法に出て、民主主義がどうした、なにごとも心の問題だろとでもいい出しかねない。何とも奇妙な国になってしまったものだよ、日本は。 washiroh

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2006年8月17日 (木)

友からの連絡

 午後、友からの連絡が2本、続いた。一つは浦安在住の寺崎くんからのメイルで、9月初めから住居リフォームのため仮住居に移るとのこと。築地とは、こりゃまた頻繁に会うことになりそうだな。もっとも当方が八王子とあってはそう簡単ではないか。ともあれ引っ越しの面倒ごととは異なり別荘住まいみたいなものか。気分が変わっていいだろう。

 メイルにはまた、愕然とする知らせが書かれてあった。山村さんが15日に亡くなったというのである。一昨日、ぼくは1日家で仕事をしていた。何日か前、思うところあって「8月15日」を主題に社会ウォッチの原稿を書いたのだが、そのせいか、15日は“戦禍”のことばかり考えていたような気がする。BBCサイトでイスラエルによるレバノン侵攻の悲惨な写真を見たり、東京大空襲の史料を探したりしていた。東京空襲の史料は、探し方が下手だからだろうが見つからなかったけれど、要するに青山界隈の被害状況を知りたくなったわけで、そういう限定的な史料があるかどうかも分からないのであった。15日は仕上げるべき仕事がたくさんあり、昼過ぎからはパソコン前に座りきりだったが、やるべき半分も出来上がらなかった。午前中は病院に予約をしてあり仕事の重みを見込んで早めに行った。東海大八王子病院はなにしろ目の前。往復の時間が取られず、呼吸器内科の診察も思っていたより早く終わり、そういうときに病院の近さがつくづくありがたく感じる。要するに仕事が望んだ半分にもいたらなかった主たる理由はぼく自身にあるのだ。とりかかってからの時間のつかい方がへたくそなのである。

 その日に山村さんが亡くなっていた。思えば昨年暮れ、12月1日に銀座グラナータで歓談した折りにはずいぶん元気だったのに。たしか“職場復帰も考えていて……”ともいっていた。不意の訃報にどっきり絶句。ただただご冥福を祈るばかりです。

 もう一つの連絡は電話だった。藤本くんが“声を聞きたくなって……”という電話をかけてきてくれたのだ。本郷の東大構内にいるらしい。東大で何をしているのかと尋ねると“近くだからね、散歩”という。いいなぁ、三四郎池が散歩コースか。でも元気でいるかというだけの電話というのもありがたい。藤やんにはそういう心優しい行為をいろいろと教わる気がするな、いつも。  washiroh

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2006年8月16日 (水)

8枚切り食パン

 何と何と早くも8月が半ばを過ぎた。あわてるね。朝食のトーストもすばやく喰えるように食パンを6枚切りから8枚切りに替えたよ(笑)。

 昨日、8月15日。日本の終戦の日。韓国北朝鮮では植民地状態からの開放の日。

 今年は国際情勢がキナ臭い中での8月15日となった。アメリカ政府のイラク侵攻占領政策はいよいよ失敗の色が濃く、イスラエルによるレバノン攻撃が子どもを殺しまくるという愚かな結果しか生まないことがはっきりし、国連安保理はアメリカ政府の邪魔だてのためにぐずぐずと動かなかったがようやく停戦を決議。もっともアメリカ政府はイスラエル寄りの案でないと拒否するとわめいていたらしく結果は妙にイスラエル有利な条項が並ぶ。

 とまれヒズボラも保留付きでこれを呑んだ。レバノンの人々はひとまず破壊され尽くした故郷に戻り始めたと伝えられる。そういう中でぼくは仕事を続けているのだが、なにしろ両手の筋挫滅症状がよくならず、おとといあたりからは手首全体が猛烈に痛い。目の前に横たわるキィボードが憎らしくなってくるほどなのだ。

 昨日配信の『社会ウォッチ』に以下の文章を書いた。掲載誌を購読していない人にも読んで欲しいのでそのまま引く。

================================================== 53万1000部発行 
■ オリーブ!ニュース               2006/08/16  02265号 ■
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|■01.今日の社会ウォッチ <巖谷鷲郎>
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(2189.) 8月15日に思うこと

 いつごろだったか、終戦といわず敗戦というべきだという議論があった。
 ぼくにとってはどちらでもよく、毎年8月15日がくると、ただひたすら“多くの
人がよろこんだ日”と受け止める。
 戦争の終わりがどんなにうれしくありがたいものかについて、ぼくは想像しかでき
ない。しかし戦争なんぞ実感する必要はまったくない。したがって戦争が終わるよろ
こびについても想像するだけで充分ではないか。

 「平和憲法の下には戦死者が埋まっている」。
 そういったのは詩人の宗左近さんであったと、毎日新聞の小国綾子記者が書いてい
る(7月27日付毎日新聞夕刊、URL下記)。
 『詩人逝く、この喪失感』と題されたこの文章は素直でしなやかで、書き手のきち
んとした姿勢が窺われるものだった。先日、8月15日を前にあらためて読み、あら
ためて感銘を受けた。
 書き出しがすごい。「詩人が死んでいく。2月には茨木のり子さん(79)、6月
には宗左近さん(87)。戦争体験を自分の言葉で書きつづった詩人たちの相次ぐ死
に、こみ上げてくるこの喪失感は何なのか」。
 ぼくにとって何度読んでも胸にずんとくる書き出しなのだ。小国記者は次いで、東
海道線の根府川(ねぶかわ)駅(神奈川県小田原市)に降り立つ。「15歳で開戦、
19歳で敗戦を迎えた茨木さん」の詩「根府川の海」に描かれた場で“こみ上げてく
る喪失感”と向き合おうと思ったからだ。
 “まず、行く。見る。そして考える”という生き方をしようとぼくも願ってきた。
 そしていま、小国記者の文章を読みながら“でもなぁ、相変わらず怠けてる”と思
うのである。根府川駅のホームから太平洋を見つめる記者はこう書いている。
 「戦争と隣り合わせの青春。この海にどんな思いを閉じこめたのか」。

 ところで、たしかに“こみ上げてくるもの”が妙に気になる夏である。
 もっとも気になるのが“気に入らない相手は排斥する”という考え方が蔓延してい
ること。夜遅い電車に乗ると、混み合った車内に不穏な気配が満ちている場合が少な
くなく、その延長に、気に入らない相手を殴るだの蹴るだの、あげくの果てには刺し
殺すだのといった“排斥の思想”を感じることがある。
 これこそは“民主主義と相反する考え方”で、米国政府のアフガニスタン攻撃とイ
ラク侵略が「テロとの戦争」という呼び方で世界中に植え付けた考え方だ。
 現状を見れば分かる通り“気に入らない相手は排斥する”という暴力思考はあきれ
るほど愚かしいのだが同時にとてつもなく恐ろしいやり口でもある。ジョージ・ブッ
シュ大統領にベッタリの小泉純一郎首相も民主主義を口にするが、自ら抱えた大きな
矛盾に気づいているのだろうか?

 8月15日、ぼくは、先日亡くなった鶴見和子さんの“みなさん、時代の動きに対
して暢気(のんき)すぎますよ”ということばが思い出されてならないのである。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060727dde012040064000c.html

 <巖谷鷲郎>

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 ここに『社会ウォッチ』を引用するのは初めてだが殊に理由はなく、ただ考えなかっただけ。では急に今日、引いておこうと思い立ったのは、じつはこのブログをサボりすぎていることを反省したからだ。あることに背中を押され、毎日書こうと思い立ってからすでに3日ほど経っている。気がつけば2006年8月も16日となっており、まずは15日のことから再開しようと思い立ったわけである。

 別に無理をする気はないけれど、せっかくのブログ、できる限りしっかりやってゆきますから、どうぞよろしく。 <鷲>

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2006年8月13日 (日)

門前仲町で飲んだ夜

 一昨日の金曜日、久し振りに門前仲町へ行った。何年ぶりだろうと思うくらい久し振りのことだ。いつもは荻窪で催されるある研究会の面々が納涼飲み会を門仲のおでん屋でやろうというしゃれた企画が持ち上がり、よろこんで参加することにしたである。

 地下鉄大江戸線の駅から通りへ出たとき、さてどの道を行こうかと迷った。もっと余裕をもつつもりがギリギリまで仕事をしていたため、着いてみたら15分ほどしかない。久し振りだから門仲の交差点を通りたいとも思い、それには地下鉄出口を背にして左へ行けばよいのだが、何気なく小路の奥を見ると木立の緑が見えた。青空に樹木のありようがなかなかいい。この景色を見ながら歩こうと決め、深川公園を抜けることにした。目的の店は富岡1丁目にあり、八幡宮の向かいあたり。交差点を通ると直角に曲がりながら行くことになるところを斜めに突っ切るかたちとなるから少しばかりゆっくり歩ける。

 ぼんやり歩いて行った。夕刻とはいえ夏の陽差しがまぶしい。大きなビルの裏側が小路に面している。ひと気がなく、ま、はっきりいってつまらない光景だ。しばらく来ないうちに、門仲も当然ながらビル街となってしまっていた。木造ふうが鉄筋ビル街ふうになり、街の匂いが変わった。それだけご無沙汰していたわけだ。魚三で早い時間から飲み始めた日があったがあれ以来か。やがて深川不動尊の参道にぶつかる。不動尊へ行く時間はない。参道からあの屋根を眺め、昨日見た景色に出会った感覚から胸の中でおお(!)と声を上げた。

 志水さんと出会い中山さんとも出会い、三人で千松ののれんをくぐった。しんと落ち着いた空間があり、親父さんの鋭い目つきと娘さんの明るい声が迎えてくれた。やがて塩田さんが現れ大谷さんや松下さんも現れ、全部で10人、みなさん元気だ。ビールで乾杯し、ぼくは阿久根の焼酎“華”に替えて飲み始めた。目の前に座った中山さんとは京都の話をした。中山さんの、古都ならぬ糊塗千年という皮肉ないい回しが面白かった。志水さんは前の日に怪我をしたそうで、左手親指が包帯でふくらんでいる。軽いダンベルをもって散歩中に濡れた木の葉にすべって転んだという。転ぶ瞬間ダンベルを放せばいいのに握ったままだったのでヒビ入りの大怪我となってしまったようだ。大谷さんからは仕事の話を聞いた。ポリー・トインビー著『ハードワーク』を媒介に、意図したものではなかったけれど、会計事務所の現状を知られてびっくり。会計士の資格をもっていてもそれはステイタスにはならないらしく、日本の時間給労働がいかに悪い条件下におかれているかというルポを聞かせてもらうこととなった。まったく知らない世界なので面白かったが彼女自身の仕事の環境は気になる。“資格取得ビジネスに乗せられてしまったみたい”ということばが印象深い。福井さんとも久し振り。初対面の方たちもいて、要するにわぁわぁ楽しんだ。

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