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2007年6月22日 (金)

吉本隆明著 『超資本主義』

 このところ折に触れて吉本隆明の情況論を読み返しているのだが、社会動向の見方がじつに鋭いことに驚かされる。いろいろ読んでいる中には刊行後すでに10年以上経つ本もあり、たとえば徳間書店から出た『超資本主義』など、いったいこの本はいつ出たのであったかと奥付を見ると、第1刷の発行日が1995年10月31日となっている。なんと12年も前なのだ。

 この本を刊行されて間もなく読んだときには、もちろん12年後に再読するなどと考えたりはしなかった。
 すると、もしもいま、たまたまの成り行きから再読することがなかったら、たとえば以下のような発言が12年前に成されていたと感服することもなかったことになる。
 こういう発言だ。
 「大胆なことをいえば、ニューヨークや、東京やパリなどの市街地とおなじように、農業が自然産業(第一次産業)としては、コンマ以下の割合になってしまうことが、長い射程ではありうることだと、徹底してかんがえたほうがいいのだ。そのときは贈与経済を根幹にして、他地域や国家が国際的な農業担当地の役割をするという事態になるとおもう」。

 いまでこそ、すうっと理解できる見方であるにしても少なくとも12年前のわたしは、この文章をいま分かるようには分からなかったのだと思う。あるいは分かったつもりで何も分かっておらず、だから読んだきり忘れていたということだったのかも知れない。
 いずれにしても「贈与経済」という概念は1995年の後半には流布されていたわけだ。
 わたしがこのところ吉本隆明の情況論を読み直している理由のひとつに、この「贈与経済」のことがあった。いまあらためて12年前から提出されていた概念であったと知らされてみると、じぶんのバカさ加減にあきれ、何だかきょとんとしてしまうのである。

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2007年6月13日 (水)

研ぎすまされた恐怖感

 タイトルは『真夜中に捨てられる靴』という。
 著者は『ランボー』の原作者として知られるデイヴィッド・マレル。ストーリーテラーの達人による8篇の短篇を収めた新刊である(山本光伸訳)。

 8篇のどれもがみごとにミステリアスな仕立て。しかもかなり怖い。
 中でも、毎夜、同じ場所に靴が捨てられる話を描く表題作は不気味。約436ページの本書にあってこれだけで約4分の1を占める中編作品。「陰謀もの」の傑作だ。

 主舞台は、サンタフェ市警に勤めるロメロ巡査の通勤路。ニューメキシコ州サンタフェの丘の上、バプティスト教会前のオールドペコス通りである。
 5月のある夜、ロメロは「道路に落ちている靴」に目を止める。ナイキのジョギングシューズだ。「はて?」とロメロ巡査はいぶかしげな顔を浮かべた。昨日も道路の真ん中にサンダルがあったと思い出し、さらに「一昨夜は?」と自らの記憶を確かめる。そう、一昨夜も何か靴が落ちていた。毎夜、何者かがオールドペコス通りの中央に靴を落とし続けているのだが、背景は何か?

 この疑問が重大なきっかけとなり話が加速する。
 ロメロ以外は「靴がどうした?」と誰も気にもかけないのだが、誰が何をいおうとロメロは疑問と違和感にこだわり続け、そのまま時が年が明けた。やがて5月のある夜、落ちていた靴に「足があった」という新事態が生じたのだ。

 人の死に関わりがあるとなっては警察も動かぬわけにはいかない。
 後段は大々的な捜査が展開することになり、終盤でロメロは、それこそ「ランボーもどきの活躍」を見せる。

 アメリカだけで約85万人死亡という1918年のスペイン風邪に材をとった『目覚める前に死んだら』、エルヴィス・プレスリーの偉大性を訴える強烈な短篇『エルヴィス45』、あるいはハリウッドの有名な脚本家が殺人者に変貌して行く過程を詳述する物語『ゴーストライター』などなど、全体に研ぎすまされた怖さがみなぎる短篇集。
 ホラー好きならずとも読み応え充分だ。(ランダムハウス講談社 本体850円)

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