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2009年4月29日 (水)

べらぼうなおもしろさ!

 いま夢中になって読んでいる本が佐藤優著『私のマルクス』(文藝春秋)で、これがまた、べらぼうにおもしろい。

 旧友の寺崎茂くんが薦めてくれた本なのだが、彼の薦めがなかったら永久に読まないで過ごしてしまったかも知れず、そう思うとぞっとする。こんなにすぐれたノンフィクション(思想的自叙伝)を読まないで死ぬわけにはいかないからだ。

 1979年2月、著者は同志社大学神学部の入学試験を受ける。「試験日には雪が降っていた。雪化粧をした明治時代の赤煉瓦建築が並ぶ今出川キャンパスがとても魅力的に見えた」とある。

 この日ここで佐藤優氏は、のちに学部と大学院で指導教授となる「緒方純雄先生」に出会う。自己紹介をすると白髪の教授は「おうちはキリスト教と関係がありますか」と尋ねる。「母親がプロテスタントですが、私自身は洗礼を受けていません。むしろ無神論に関心をもっています」と答えながら著者は「フォイエルバッハやマルクスの流れ」に関心があることを表明、緒方教授から「フォイエルバッハは神学部の図書室にだいぶ資料も整っています。大学院にはフォイエルバッハで修士論文を書いた人も何人かいますよ」といわれる。同志社大学神学部が「無神論研究で神学修士の学位を出す」ことを知ったわけだ。

 神学部3階にはチャペルがあるが十字架はなく、説教壇の上には「茨の冠」がつり下げられているという。茨の冠はイエスがローマ兵士によって侮辱されたときの象徴。同志社大学は十字架ではなく茨の冠にイエス・キリストのシンボルを求めたわけで、このくだり、ぼくにはとても印象深い場面と映った。

 続けて著者は、こう書く。「私はプライドに価値を認めない。プライドこそが人の目を曇らせ、情勢分析の判断を誤る原因になるという発想をインテリジェンス(情報)業務についてからもつようになった根元には神学館の茨の冠があるのだ」。

 ぼくも同じような考えかたをもっている。プライドと称される概念はいわば自己流ねじ巻き器としか見えず、無駄で邪魔で人間にとって余計なものだと思っている。

  ヨセフ・ルクル・フロマートカという神学者の存在をぼくはこの本で初めて知った。
 著者が引いている部分だけからもフロマートカが書いた文章の貴重な内容が伝わってくる。共産主義者は本当に無神論者となるのかを問う発想は洞察力に富むだけではなく考察と論理の新鮮な刺激にどきりとさせられる。マルクスとキリスト教とのかかわりをここまで考え抜いたひとがいたのかと舌を巻く。
 フロマートカについて、佐藤優氏は野本真也教授から「ロマドカを読むといい」と薦められたというおもしろいエピソードを書いている(同p.256)。

 「東ヨーロッパの神学に関心があるのですか」
 「そうです。無神論を国是とする国での教会と国家の関係について勉強したいんです」
 「重要なテーマですね。それならば、佐藤君はロマドカを読んだことがありますか」
 「ロマドカって誰ですか」
 「チェコの神学者です。この分野ではとても重要な人です」
 「読んでみます」
 早速、神学部図書室で、Romadkaのカードを探してみた。でてこない。次にLomadkaであたってみた。それでもでてこない。

 きりがないので引用はやめるが、要するに日本語索引の目録にある「ロマドカ」の脇には、ローマ字表記で「Josef Lukl Hromadka(1889-1969)」とあったという。

 野本教授が薦めたのは著者が研究しているヨセフ・ルクル・フロマートカそのひとのことだったわけだが、ぼくはここで、佐藤氏が「チェコ語のHが黙音のなることはない」と書き、少し先では「チェコ語では明瞭にフロマートカと聞こえるので、ロマドカというのは英語訛りなのだろう。ちなみにロシア語でフロマートカはグロマートかと発音する」と書く姿勢が好きだ。

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