高村薫著『晴子情歌』
今週は高村薫『晴子情歌』の下巻を読んでいる。
ことばのつながりかたがすばらしい。
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かつて愛用していたHPが運営会社の都合だとかいう理由で消えてしまった。だからといって別になんてこともないと思っていたが、ちょいとたしかめたいことが生じた際など、メモを見る感覚でHPを当たることができなくなった。無くなってみて改めて思うが、あの確認法はあれでなかなか便利だったのだ。それが、いま、もうできない。
で、保存してあったものに限られるが気が向くままにすこしずつ再録しておくことにした。
◆ ◆ ◆
デイヴィド・フルマー著『快楽通りの悪魔』(CHASING THE DAVIL'S TAIL 新潮文庫)を読んだ。1907年のニューオーリンズを舞台にした犯罪小説の傑作だ。殊更にマークしていたわけでもなく、まさにたまたま読み始めた文庫本なのだが、いやぁ読んでよかった。独特に面白かった。
訳は田村義進さん。落ち着いた文章が、ひたすら真面目に、丁寧に、暑くしめった歓楽街を描出してゆく。
ニューオーリンズのミシシッピ川沿いに有名なフレンチクォーターがあり、その北側の奥がストーリーヴィルと呼ばれる歓楽街。娼婦の館が軒を連ね、酒とアヘンがはびこり、猥雑で暴力的で、銃撃事件は毎晩のように起こるという典型的な“悪所”である。
物語は、4月のある夜、評判の娼館で19歳の娼婦が殺され、主人公の私立探偵が調査に乗り出すところから始まる。
死んだ娘の裸の胸には黒い薔薇がおいてあり何やらいわくありげ。その後、4人ぐらいの娼婦が殺されるけれど、その現場にも枝つきの黒い薔薇がある。
ヴァレンティン・サンシールという名のこの私立探偵は覚えておくといい。なぜなら、この作品は著者のデビュー作ながら、いきなり2002年度PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ賞)最優秀処女長編賞を受賞。ジェフリー・ディーヴァーが絶賛したとか、物語の暗黒度合いがジェイムズ・エルロイをしのぐとか讃辞が降り注いだ。で、一読すると、それらの評価がまちがっていないことがわかるのである。
著者はストーリーヴィルものの連作を目論んでいるらしく、そうなるとヴァレンティン・サンシールの活躍がたのしみになる。少なくともあと2作は刊行されると後書きにある。
いかがわしさは人を惹きつける。
だからストーリーヴィルには各層の人々が集まり、歓楽の盛り上げ役として音楽があり、こうしてストーリーヴィルにジャズが生まれた。
このミステリーは、ジャズ発祥期の歴史そのものが背景となるセミドキュメンタリー小説でもあるのだ。
とにかく、ヴァレンティンの親友にバディという男が登場。これが何と、ジャズの創始者とされるあの伝説のコルネット奏者チャールズ・バディ・ボールデンのことなのである。文中にある、彼の火を吹き上げるような演奏シーンがすごい。要注目。また、ジャズの語源とされるフランス語の動詞「ジャゼ」について描写する賑わいのシーンも興味深い。
あるページには、一瞬だけ、少年時のルイ・アームストロングが出てくる。
そんなこんな、ジャズファンには見逃せないミステリーだ。 washiroh 04/07/16 09:53
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神の手(上・下)
パトリシア・コーンウェル 著
相原真理子 訳
ケイ・スカーペッタを主人公とする検屍官シリーズも本書で14作目。ケイはいま、フロリダにある全米法医学アカデミーのスタッフとして捜査全般に関わる仕事を行っている。恋人のベントン・ウェズリーは、ボストン近郊の精神科病院で「殺したいという衝動」にとりつかれた強迫的殺人犯の“脳の機能”を研究中。従って本書には、フロリダ州ハリウッドとボストンを主な舞台に数件の残忍無惨な殺人事件をめぐる物語が描かれていく。
ある日ケイの捜査仲間であるマリーノに正体不明の男から電話がかかってきた。脅し文句を並べた男は自らを「ホッグ(HOG)」と名乗る。ケイも指摘する通り妙な名前だ。「神の手(ハンド・オブ・ゴッド)の頭文字をとったのかもしれねえ」とマリーノ。表題にも選ばれたこの名が物語全編に踊り、血なまぐさく不気味な効果を醸し出す。
章を追って次々に惨殺死体が発見される。喉をかき切られた女や口に散弾銃を突っ込まれて頭を吹っ飛ばされた男、ある若い女は裸の体に入れ墨のような「赤い手形」がつけられていた。強姦され、拷問され、脳がグジャグジャとなった数人分の死体は犯人が異様に冷酷な「捕食者」であることを示し、ベントンの研究が意味を持ってくる仕立て。そこには米国の現実を突きつける趣があり読み手は慄然とさせられる。
今までのシリーズ作品にはなかったスピード感が特長。サスペンスが盛り上がり、驚嘆すべきエンディングに繋がっていく。
(講談社文庫 各714円) 2006年02月 日刊現代掲載
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獣たちの庭園
ジェフリー・ディーヴァー 著
土屋 晃 訳
『マフィアの手先に政府から“殺人依頼”』
ニューヨークの殺し屋がベルリンでの“仕事”に赴く話である。それも1936年、オリンピック開催を目前にしたベルリンだ。晴れがましい国際スポーツ大会の影でうごめく陰謀のドラマ。3センチ強の厚みに読み手は我を忘れる。
開幕シーン。殺し屋ポール・シューマンが罠にはめられ当局の手に落ちる。送られた先は「ザ・ルーム」と呼ばれる米海軍情報部の一室。そこでポールを待っていたのは“政府による殺しの依頼”であった……。
標的は「ドイツ国内安定担当全権委員」のラインハルト・エルンスト。架空の人物だがゲーリング、ゲッベルスと並ぶヒトラー政権の高官で、ドイツ再軍備の「糸を引く人物」と説明される。当時ヒトラーはヴェルサイユ条約で禁じられた再軍備を求めていたのだ。
7月24日、ポールはフリーのスポーツ記者としてジェシー・オーエンスらオリンピック選手団とともにオリンピック村に入る。その日のうちに工作員と接触しようと外出するあたりからのある種独特な緊迫感が読み処。街にはヒトラーの暴力装置、SA(突撃隊)やSS(親衛隊)やゲシュタポ(秘密国家警察)が「うじゃうじゃいる」のである。しかもポールはSA隊員に監視されていた。大西洋を渡る船内にひそんだナチの熱狂的支持者が“疑惑の人物”と通報していたのだ。
かくて“要人暗殺”を軸に追いつ追われつの物語が展開。息をもつかせぬサスペンスの連続に思わず生唾を呑み込んでしまう。 (文春文庫 本体905円) 05/10/05 12:47
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◆ アンクルトムズ・ケビンの幽霊
池永 陽 著
駅裏のおでん屋で酒を飲み、酔った帰り道にギター弾き語りの歌が聞こえてくる。風がさらさら吹きぬけて/生れたばかりの子供の手、と始まるその歌の「八月二十二日を私は忘れない」という歌詞が酔った頭の片隅にこびりつく。物語のキーワードともなるひと言、いわば物語のドラマティックな展開をうながす種となる言葉なのだ。歌声を耳にとめた主人公にその意味はわからないが、明治四三(1910)年八月二二日の「日韓併合」を指している。
本書の冒頭シーンである。主人公の西原章之は四五歳の鋳物職人。岐阜県郡上八幡のマンガン鉱山で育ち中学を卒業して集団就職で鋳物工場の藤田鋳工に入った。妻の邦子はグラフィックデザイナーで、あるとき「溶けた鉄の色が見たいんです」と工場に現れた。いまは仲間と小さなデザイン事務所をやっている。ひとり息子の直樹は芝居をやりたいと家を出た。邦子も直樹も自分の世界に入ってしまい、章之はつねに奇妙な孤独感を強いられる。物語の基調音はここから奏でられていく。弾き語りの路上芸人はフウコ。二〇歳位の朝鮮人で、三人のタイ人と同居していることがのちに知らされる。
三人のタイ人は章之がいる藤田鋳工で働いており、章之は時々ビールや肉などを持ち込んで彼らのアパートを訪ねる。で、ある日、そこにフウコがいたのだ。タイに帰ったら鋳物師になりたいというリーダー格、チャヤンと気が合うらしい。
ときは五月。藤田鋳工は一〇日あまり後に給料日を迎える。社長の藤田は章之に、給料日がくる前に入管に電話しろと命じていた。不法残留のタイ人三人を「強制送還させて未払い分の給料を帳消しにしようとしている」のであった。
従業員募集の貼り紙を見たチャヤンたちが工場にきてから一年ほど経つ。が、給料が真っ当に払われたのは「最初の二ヶ月だけ」だった。あとは半分未払いのままで入管への密告が企てられている。「外国人労働者の代りなんぞ掃いて捨てるほどいる」というわけだ。ここにもドラマを盛り上げる種がひとつ埋め込まれている。後段のクライマックスで発火する火種である。
五月の明るい空の下にあって、章之の心は晴れることがない。本書の特長は、こうした章之の鬱屈感を、日常性のひだを通して淡々と描いていくところにある。たとえば、夫妻の「収入が逆転」した後の状態を告げるこういう描写。「私の神経は邦子の言動に異常に敏感になり、邦子の言葉の端々にワンランク下の人間に接するような見下したにおいを嗅ぎとるようになった」。
家庭の問題、職場の問題、チャヤンたちタイ人労働者の問題。ひとりの中年男が生きるためにはいくつもの問題を引き受けなければならず、この小説はそのすべてを描く。
何かの折りにフウコがつぶやいた「北に帰るわ」という言葉が、章之に“封印した記憶”を掘り起こさせる。故郷のマンガン鉱に、つてを頼って朝鮮人の母と娘が働きに来たのだ。娘のチェ・スーイン(崔秀仁)は章之と同じ中学生。切れ長の目が「観音様のように涼しげで柔らか」だった。母子は、猟師の避難小屋のようなところに住んだ。鉱山の幼なじみはそこを「あれはアンクルトムの小屋や。黒人奴隷が住んどったアンクルトムの小屋や」といった。
つらい日々が続き、結局スーイン母子は北へ帰ってしまう……。
後半、物語はこの小屋を目指してまっしぐらにすすむ。
章之は、「何もかも放り投げて、それでもやらなければいけないことはあるのだ」と肝に銘じ、スーインが暮らした小屋に向かう。あえて詳述を避けるが、やがて読者は、章之が「土間に突っぷして泣いた」という描写に出会う。そして、中年男のあられもない号泣がもつかけがえのない重さに納得し、感動する。(角川書店 本体1300円+税) <週刊金曜日 2003.06.>
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本をめぐるぺーじを設けようと思い、ともかく<書物さまざま>という名のカテゴリーを作った。が、いろいろと用アリで本文を書く時間がない。
いちばん最近読み終えた本は鳴海章『えれじい』(講談社)で、読み始めたばかりのものはジェフリー・ディーヴァーの翻訳最新刊『獣たちの庭園』(文春文庫)である。今夜のところはそう書き置くにとどめ、いずれゆっくりと書いていこう。また、いくつかの場で発表した文章もここに再録するつもり。
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