2007年6月22日 (金)

吉本隆明著 『超資本主義』

 このところ折に触れて吉本隆明の情況論を読み返しているのだが、社会動向の見方がじつに鋭いことに驚かされる。いろいろ読んでいる中には刊行後すでに10年以上経つ本もあり、たとえば徳間書店から出た『超資本主義』など、いったいこの本はいつ出たのであったかと奥付を見ると、第1刷の発行日が1995年10月31日となっている。なんと12年も前なのだ。

 この本を刊行されて間もなく読んだときには、もちろん12年後に再読するなどと考えたりはしなかった。
 すると、もしもいま、たまたまの成り行きから再読することがなかったら、たとえば以下のような発言が12年前に成されていたと感服することもなかったことになる。
 こういう発言だ。
 「大胆なことをいえば、ニューヨークや、東京やパリなどの市街地とおなじように、農業が自然産業(第一次産業)としては、コンマ以下の割合になってしまうことが、長い射程ではありうることだと、徹底してかんがえたほうがいいのだ。そのときは贈与経済を根幹にして、他地域や国家が国際的な農業担当地の役割をするという事態になるとおもう」。

 いまでこそ、すうっと理解できる見方であるにしても少なくとも12年前のわたしは、この文章をいま分かるようには分からなかったのだと思う。あるいは分かったつもりで何も分かっておらず、だから読んだきり忘れていたということだったのかも知れない。
 いずれにしても「贈与経済」という概念は1995年の後半には流布されていたわけだ。
 わたしがこのところ吉本隆明の情況論を読み直している理由のひとつに、この「贈与経済」のことがあった。いまあらためて12年前から提出されていた概念であったと知らされてみると、じぶんのバカさ加減にあきれ、何だかきょとんとしてしまうのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月 9日 (日)

“株主主権論”を否定

◆ 会社はだれのものか
                                                          岩井克人 著

『株主主権論を否定する会社論』

 先般の、ライブドアとフジテレビによるニッポン放送をめぐる買収合戦は「いったい、会社はだれのものなのか」という“大問題”を世間の人々に突きつける結果を生んだ。
 経済理論を専門とする著者は、この問題を「経済学・経営学・法学における最大の論争点」と考えている。で、それがテレビを通じて茶の間に入り込み、熱い議論の対象となっていることを「観客の1人」として興味深く見つめていたという。
 それがきっかけとなり本書が生まれた。

 ニッポン放送をめぐる買収合戦は「会社はだれのものか」の解答までは示さなかったのだ。いや、示さなかったのではなく“間違った解答”を示したといったほうが正しいかも知れない。
 そして、それもまた本書を世に出す動機に結びついたのだった。

 あの買収合戦で特徴的だったのは「“会社は株主のものでしかない”と主張するアメリカ型の株主主権論」が主要な論点となったことだった。
 本書で著者は、その株主主権論を「法理論上の誤り」と徹底的に否定する。
 著者の主張は「もし株主主権論が正しければ、会社とは株主の道具にすぎないことになり、株主となった個人に利益を与えるかどうかが、その唯一の存在意義であることになってしまいます」という発言に凝縮されている。
 本書の前段はそこに向けて、たとえば「会社」とは何かといった本質的な概念規定から説き起こされ、資本主義の沿革とか、時代の変遷と社会構造の関わり方とかといった広い範囲のことが、まるでレンガを積み重ねるようにきっちりと語られる。経済を語る本にしては珍しいことだが、持ち味は諄々と説く口調にあるといいたい。この本は、内容の広さ深さに加えて“知性の体温”といった感覚をも与えてくれるわけである。
 たとえば、会社とは何かを解説するくだりにこういう一節がある。
 「要するに、アメリカ的な会社のあり方も日本的な会社のあり方も、会社というものがそもそも持っている二階建て構造の、それぞれ二階部分と一階部分のどちらを強調するのかということの違いでしかない。そう考えれば、どちらが特殊でどちらが普遍かというような議論は無意味です」。
 「別の言い方をすれば、会社は株主のものでしかないという株主主権論は、本来二階建ての構造をしている会社という仕組みの二階の部分のみしか見ていない、法理論上の誤りなのです」。

 じつは、念のために書いておくけれど、ここまでに「企業」と「法人」との“大きな違い”についての話が繰り返し述べられている。 その中で著者は、人形浄瑠璃を用いて「法人」の説明をするのだが、これがじつにわかりやすい。ヒトと人形が一体となる形で舞台が作られる状態を「法人」に喩えているわけである。
 ちなみに“法人化されていない「企業」”の場合は、オーナーである主人「みずからが経営にあたる」ことから歌舞伎役者に喩えられている。
 密度の濃い本なので紹介したいことがいろいろあるが、後段に、いま注目を浴びている「会社の社会的責任(CSR)」について論ずる場面があり、ここは重要だ。
 著者は、CSRとは文字通り「会社」の社会的責任をいい、決して「企業」の社会的責任のことではないのですという。つまり「ここでも、法人企業ととしての会社とたんなる企業との区別が、本質的な意味を持つことになります」ということで、そう、本書に一貫して書かれているのは「法人」に関する懇切丁寧な解説なのである。

 会社は「社会のもの」というのが本書の結論だが、その基盤となる考え方がすばらしい。
 たとえば基本的人権が、初めは少数の人間だけに通用するものだったのに、いつの間にか多くの人に共通の基本(ファンダメンタル)となってきたのにも似て、人間は歴史の中で「徐々に“ファンダメンタルズ”を増して、少しでもまともな社会を実現しようと努めてきたのです」というのである。

 第2部は対談だ。
 小林陽太郎、原丈人、糸井重里の3氏と著者とが、あらためて会社のありようを語る。
(平凡社 本体1400円+税) <“C&C”サイト POP-Marketing 2005.07.>

| | コメント (0) | トラックバック (0)