2005年10月13日 (木)

ユーリ・バシュメット

 先に仕事前のひとときにブラームスの『ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調』を聴いている話を書いていて、ヴィオラ奏者のユーリ・バシュメットという名を出した。その後、ちょいと気になってサイトを探っていたら、なんとなんと、旧知の児島宏子さんが通訳をなさるユーリー・ノルシュテインのインタビューと出っくわすではないか。その中にユーリ・バシュメットをめぐるエピソードが出てくるので、一部を引く。

 <ある時、私達はナターリャ・グッドマンという世界的に有名なチェリストに招待されてホスピスセンターに行き、死を前にした人々の快い時を、講演したり、ロストロポーヴィッチも演奏しました。その時にそこの所長は言いました。
 「死を前にここにやってくる人は、どういう人生を送ったか、どういう死に方をするか、もうわかるんです。」
 ナターリャの夫でオレーク・カガンというバイオリニストは、死の少し前に、ユーリ・バシュメットというビオラ奏者に電話して「こっちに来てくれよ、一緒に演奏しようよ」と言いました。それでカガンの状況を知ってたユーリ・バシュメットはびっくりしたんです。死を前にして一緒に演奏したんです。これこそが生きる意味なんです。この時こそ、あらゆる考えが自分の場所を得るのです。ですから私はアニメーションがいわゆるプーシキンや、リヒテルやオレーク・カガンや、そういう人たちが意味を込めたような「芸術」の一部分になる事をとても願っています。そういうものに出会ったから、一位になるかと二位になるとか、そういうふうに選ばれたという事で、それに狂喜する、という訳にはいきません。それで私はこれによるあらゆるインタビューを断ったりしたんです。> http://www.comicbox.co.jp/comicbox/whiles/norshtein.html 

 そうだよなぁ。あらゆる考えが自分の場所を得る、というのはもっとも本来的な状態だ。なんだか今朝は、仕事に掛かるのが遅くなったけれども大いに励まされる朝となった気がするよ。 washiroh

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィオラ・ソナタ

 今朝は仕事にかかる時刻がいつもより遅くなった。寝坊したからだ。目が覚めたら7時半を回っていて、朝食を済ませたのが8時40分。新聞をちらと見、こうしてパソコン前に座ったわけだ。文字入力の前にCDのスウィッチを入れる。

 ブラームスの『ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調op.120-1』が聞こえてきた。昨夜聴いていた曲だ。ユーリ・バシュメットのヴィオラ、ピアノはミハイル・ムンチャンとある。ぼくはこの曲の冒頭のピアノ部分が好きで、このごろよく聴いている。ポ~ロポロポロ ポロポロポロリンと1小節の半分かとも思えるようなわずか5~6秒の導入部で、そこにヴィオラが、それはひそやかに、美しく入り込んでくるのだ。で、仕事を始める。まさに“ながら”の道具にしちゃっているわけだからブラームスには申しわけないが、ま、21世紀のビンボウ人はそんな風に稼いでいるわけよ。

 ブラームスが活躍した19世紀後半のウィーンには、たくさんのビンボウ人がいたらしい。後年のわれわれに伝えられるのは著名人ばかりだが、たとえばベートーヴェンもシューベルトも、貧しかった。ただビンボウ人にもいろいろあって、要するに貧しさの中身が違っていたのだ。ビンボウ人なりのランク、といってはナンだが、そういった差異があったのは事実だそうで、中には馬車の行く手を照らす灯明をもつ役目を仕事ととするビンボウ人もいたという。いまでいうなら車の照明係だぜ。走りっぱなしだったのだろうなぁ、たいへんだなぁ。  

 ビンボウにいろいろある情況はいまの東京そっくり。そんな一人に自由業のぼくがいて、給料生活ではないだけに仕事を休むわけにはいかない。仕事の手を動かしつつ、耳には音楽が入ってくる。ヴィオラ・ソナタ第1番はすでに第4楽章のヴィヴァーチェ(ロンド)に入っている。こうして、毎朝パソコンに向かいながら音楽をかけるが、そのたびにかつてパリで取材した“椅子作りの職人”を思い出す。

 モンマルトルの丘の坂の途中でルイ14世,15世様式の上等な椅子を作っていたこの職人についてはいずれ書きたいが、その仕事場にも、ブラームスではなかっただろうが音楽が流れていたのだ。 washiroh

| | コメント (0) | トラックバック (0)