ユーリ・バシュメット
先に仕事前のひとときにブラームスの『ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調』を聴いている話を書いていて、ヴィオラ奏者のユーリ・バシュメットという名を出した。その後、ちょいと気になってサイトを探っていたら、なんとなんと、旧知の児島宏子さんが通訳をなさるユーリー・ノルシュテインのインタビューと出っくわすではないか。その中にユーリ・バシュメットをめぐるエピソードが出てくるので、一部を引く。
<ある時、私達はナターリャ・グッドマンという世界的に有名なチェリストに招待されてホスピスセンターに行き、死を前にした人々の快い時を、講演したり、ロストロポーヴィッチも演奏しました。その時にそこの所長は言いました。
「死を前にここにやってくる人は、どういう人生を送ったか、どういう死に方をするか、もうわかるんです。」
ナターリャの夫でオレーク・カガンというバイオリニストは、死の少し前に、ユーリ・バシュメットというビオラ奏者に電話して「こっちに来てくれよ、一緒に演奏しようよ」と言いました。それでカガンの状況を知ってたユーリ・バシュメットはびっくりしたんです。死を前にして一緒に演奏したんです。これこそが生きる意味なんです。この時こそ、あらゆる考えが自分の場所を得るのです。ですから私はアニメーションがいわゆるプーシキンや、リヒテルやオレーク・カガンや、そういう人たちが意味を込めたような「芸術」の一部分になる事をとても願っています。そういうものに出会ったから、一位になるかと二位になるとか、そういうふうに選ばれたという事で、それに狂喜する、という訳にはいきません。それで私はこれによるあらゆるインタビューを断ったりしたんです。> http://www.comicbox.co.jp/comicbox/whiles/norshtein.html
そうだよなぁ。あらゆる考えが自分の場所を得る、というのはもっとも本来的な状態だ。なんだか今朝は、仕事に掛かるのが遅くなったけれども大いに励まされる朝となった気がするよ。 washiroh
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