2006年11月 4日 (土)

映画『L.A.コンフィデンシャル』を観たい

 もうひとつのぼくのブログ<Wienerschnitzel>にも同じ文章を書いた。以下、転載ということになるが、今後こういうことが増えそうだな。ここからあっちへ、あっちからここへ。ま、それはそれで一向に構わないわけで、ただ“場が2つある”ことになかなか慣れないのだ。

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 映画の話をしよう。
 もっとも今日のところは、映画の話といっても“見損なった映画”について話したい。

 友だちと酒を酌み交わしながら映画の話をしていると時間が飛び去って行く。
 そういう場で相手がある必見の映画を観ていない場合、ぼくはよく“致命傷”の語を使ったものだ。うへぇ、あれを観ていないのは致命傷だぜ、といったふうに。
 相手は“まったくその通り”とうなずき、同時にやや顔をしかめたり苦笑いをしたり。立場が逆の場合はぼくも顔をしかめ、そうだな、あれを観ていないのでは消え去るしかないなと苦笑いを返したものだった。

 で、要するに、その“致命傷”の話をしたいのである。
 恥ずかしいことにぼくには決定的ともいえる致命傷体験がいくつもある。どこかでそうした映画が話題になったりするとわぁ参った、何もいえない、無念残念、と身をすくめるのだ。

 典型例が、……いやホントに恥ずかしい告白で人にいうのは初めてなのだが、たとえばぼくは黒澤明監督の名作『天国と地獄』(1963)を観ていない。
 TBSラジオに『久米宏 ラジオなんですけど』という番組があり、その中でかつて自由が丘にあった懐かしの映画館、自由ヶ丘劇場の話をしていた。ぼくはその名を聞いた瞬間に夢想状態におちいり景色がくるりと一回転、白壁もモダンな自由ヶ丘劇場の前に立っていた。年齢は、たぶん15歳。見上げる絵看板にはエリザベス・テイラーとヴィットリオ・ガスマンが色彩鮮やかに描かれている。
 そう、もちろん『ラプソディー』(1954)を観に行ったのである。チャールズ・ヴィダー監督の音楽映画。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲やラフマニノフのよく知られたピアノ曲が使われているが一番の印象はサラサーテのツィゴイネルワイゼンだった。ぼくはいまでもツィゴイネルワイゼンを聞くと直ちにこの映画を思い出す。
 久米宏の話は自由ヶ丘劇場からリスナーの声を経て『まあだだよ』(1993)へ、そこから黒澤作品絶頂期論へと一気に飛び、黒澤明監督第一の傑作は『七人の侍』(1954)であると多くの人がいうが、久米氏にとっては『天国と地獄』こそ筆頭の大傑作なのであると、番組パートナーの小島慶子アナを相手に愉しそうに語っていた。
 そこで、ぼくは“うひゃまたか、観てなくてつらいな”となったのである。
 しょうがない、近々DVDを借りてこよう。

 比較的最近の作品でいうと、何とぼくは映画『L.A.コンフィデンシャル』(1997)を観ていないのだ。これまたまことに恥じ入るばかり。観たくてしょうがなかったのにどうしたわけか見逃してしまった。
 が、監督のカーティス・ハンソンには大いに興味があり『8 Mile』(2002)は食い入るように観た。

 観ていない映画について何をもって“致命傷”とするかについては、これはセンスの問題としかいいようがない。自分も相手も“致命傷”だと思えるかどうかを論じあうのはいいが、硬く深く突っ込むと話がつまらなくなる。ま、センスととらえることが重要だろう。
 たとえば、映画『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)を観ていなくても“致命傷”にはならない。ぼくは観ていないが、そう明言できる。
 西部劇で知られたジョン・フォード監督の旧作でいえば『駅馬車』(1939)を観ていなくても“致命傷”ではないが『怒りの葡萄』(1940)を観ていないとなると、そりゃ“致命傷”だぜということになる。
 センスの問題というのはそういう意味なのだ。

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